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2019年6月27日 (木)

学ぶと何になれるのか?

 人が學ぶ目的は、人間になること。人間とは、人と人の間で生きていける存在である。

 人間でなく、自分の欲望を制御できない存在は、餓鬼である。餓鬼は畜生にも劣る存在である。畜生であるライオンでも、満腹になれば、目の前のウサギを襲わない。ライオンでさえ、自然界の調和を乱さない。しかし餓鬼になると、使い切れないほどの金があっても、さらに欲しくなり、会社の金にも手を染める。日産ゴーン被告のように。

 だからせめて人間になってから死んでほしい。そのために「修身」の学びがある。

 

グローバル経済主義狂の教え

 個人主義が発達した欧米ではその利他の精神が無く、グローバル経済主義狂の洗脳教育で、利己主義が横行し、小欲、利他の精神はない。それで1%の富裕層と99%の貧困層が生まれる結果となった。戦前は、植民地強奪戦争が起きた。現代はそれが姿を変えて、グローバル経済主義狂として跋扈している。

 それに反旗を上げたのが、欧州のポピュリズムの動きである。今までの金持ち優先の政策が異常であったのだ。

 グローバル経済主義狂が跋扈すると、大企業だけが繁栄し、庶民が貧困に落ちていく。だから日本の少子高齢化が止らない。若者の給与が下がり続けているので、結婚もできない。だから子供が生まれない。真の原因を探さないと、少子高齢化の歯止めはできない。それを明確にすると、政府の利権に目がくらんだ役人が、己の天下り先への気兼ねで、都合が悪いので、口が裂けても言わないだけである。

 共産主義社会でも同じ状況が生まれている。共産主義社会は平等な世界を目指したはずであったが、権力を握った支配層が、富の独占をして、西洋の資本主義社会以上の格差社会が生まれている。そんな世界は幸せな社会ではない。

 

人間と動物の違い何か?

 人間の特性は、使命、時間、言葉、人間、恥、気付きがあることである。それが動物との違いである。

 狼に育てられた少女(インド)のように、人間として躾・教育がないと、人間にはなれない。

 大蔵省の堕落・汚職の原因は、人間としての素養がなく、学歴だけで官僚になったためである。接待でノーパンしゃぶしゃぶなんて、けしからん。(と表向きは言うものの、うらやましい?)

 一年後の皆さん(新入社員)の言動が、来年度の新入社員への活きた業務マニュアルとなる。だから心して、人間として成長して欲しい。

 

なぜ学ばないといけないか

 学ばないと、宿命的な存在にしかなれない。それでは、飲食、睡眠、交尾の原始的な欲望のまま生きることになる。それでいいのか?

 しかし、学ぶことで、運命的な存在、つまり人間的存在となるのだ。

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2019-06-27   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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