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2019年4月 2日 (火)

生涯現役の心がけ

 人はどんなに強欲で精力的でも、深夜になれば睡魔に襲われ、眠りにつく。どんなに財産があろうとも、最後は赤子の如くになって寝る。その時には、食欲、性欲、物欲も権力欲もなく、ただひたすら眠りたいだけである。人の一生を一日に置き換えると、人生の終末は、深夜に眠りに就く姿によく似ている。その時には、良く働いた一日に満足して、安らかな眠りにつきたいと思う。

 

無為の眠り

 一日の運動・労働不足で寝付かれず、酒に頼っての睡眠前儀式では寂しい。就寝前に当日(一生)の反省をして、横になるのが良き眠り前の儀式である。やることもないから、寝ようかでは、「起きたけど 寝るまで特に 用もなし」の来世(明日)が待っている。そんな終末を迎えたくはない。やり残してでも、やり続けながら立ったまま眠るが如き人生も憧れである。

 

走りながらの眠り

 深夜0時を回っても、まだやり足りないと睡魔と戦いながらの受験勉強や、やりかけた仕事がまだ途中で、しぶしぶ眠りにつくような眠り方も理想である。勉強や仕事をやりながら寝てしまう時もあろう。それは現役として走りながらの死の姿である。そんな眠り前の儀式もない形も理想的な眠りではある。

 

わしがやらねば誰がやる

 平櫛田中(1982~1979・彫刻家)は、90歳の時に30年分の材木を買い込み、彫刻道に励んだ。平櫛田中は百歳を超えても、30年かかっても使いきれないほどの材木を所有していた。これはいつでも制作に取り掛かれるようにと、金銭に余裕がある時に買いためた材木が、いつの間にかそれだけの分量になっていたためである。そして死の直前まで彫刻に励み、107歳の天寿を全うした。下記は彼がよく揮毫した言葉である。

「今やらねばいつできる わしがやらねば誰がやる」、

「不老 六十七十は洟垂れ小僧 男盛りは百から百から

 わしもこれからこれから」

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 人生において、最後まで現役でいるのは理想である。仕事に惚れ、仕事に没頭し、惚けて死んでいくのが理想の人生。

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2019-04-02     久志能幾研究所 小田泰仙

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