« 曼荼羅を俯瞰する | メイン | 後は野となれ山となれ »

2019年3月28日 (木)

小川敏市長の対話「拒否」能力は、赤軍なみ

高島宗一郎市長のスタイル

 高島宗一郎市長は、前職のアナウンサーとして、事件をいかに簡潔に短時間にTV視聴者に分かってもらうかに、心血を注いだ。それが聴衆にどう受け止められたかを考えて喋っている。それは直ぐ視聴率で突きつけられる。視聴率、聴衆の電話反応、メールですぐその結果の反応が出る。それで高島氏は鍛えられて、コミュニケーション能力を鍛えた。それを元に福岡市民との会話を重視して、福岡市を日本一の街にした。

 

小川敏市長のスタイル

 小川敏市長は、政治屋として、いかに曖昧に、言葉尻を捉えられず、どうでも解釈できる言葉を選んで、いかにも内容があるかに見せるため冗長に時間をかけて話すように19年間、勤めてきた。政治屋として小川市長は、聴衆に、己の言ったことを理解してもらうなど、考えていない。一方的に己の考えを話すだけである。自分は市で一番偉い市長なんだ。まさに自己中心的である。大垣市民との会話を拒否して、大垣市を最低の街に貶めた。

 

論理構成無しの挨拶

 私はテクニカルライティングを学ぶことで、いかに情報伝達において、論理構成が大事かを認識した。それがないリーダは、上に立つリーダとして資格はないと思う。小川敏市長の演説は、昔の全学連のアジ演説と同じで、支離滅裂である。知識はあっても、知恵がない内容である。

 小川敏市長の演説を例えれば、「大垣の春の温度は20度です。夏は35度です。冬は5度です。さようなら」という文体のようで、結論がなく、何が言いたいのかが全く分からない。市民を馬鹿にしている。秘書室が演説の原稿を作るが、市長は秘書室を馬鹿にして、その原稿をほどんど見ないという。

 

顔出しなし

 例年、大垣駅前商店街のお祭り(十万石祭り、水都祭り等)で、開催本部が設営される。そこに、毎年、大垣市長は挨拶に顔出しをしていた。ところが2年ほど前から、この顔出しをしなくなった。商店街の幹部との会話など、知ったことではないとの姿勢である。

 

神様を無視、大垣市長の不敬

 2017年10月8日10時より、大垣十万石まつりに先立って、常盤神社にて神事が執り行われた。最初に常盤神社に祀られている戸田公の廟例に祝詞が上げられた。続いて神楽の舞が奉納された。

 この神聖な神事の間、小川大垣市長は居眠りをしていた。神事の最中、小川大垣市長が偶然写りこんだ写真53枚中で、2,3枚を除き、後は全て目を閉じて居眠りしていた。神意が授けた醜態写真である。この事実は、大垣藩の発展に心魂全霊を捧げ、大垣を深く憂う戸田公の霊の神意であると思う。午後の疲れた時ならともかく、朝10時の十万石まつり最初の神事である。その神事は、戸田公への大垣発展の報恩として執り行われる。神様の前で、公衆の面前での居眠りである。多くの素人カメラマンも、神事の様子を熱心に写真に撮っていた。大垣の恥さらしである。

 舞楽でも、神様に扮した舞人が「コラ、大垣市長、目を覚ませ」と怒っている様な舞であった。小川敏市長は市民とも神様とも、会話拒否である。上から戸田公が情けなさそうに眺めておられる(騎馬姿図)。

114k8a3462

134k8a3467

2017年10月8日10時、常盤神社にて神事中に居眠りの小川敏市長

右隣の氏子が心配そうに横目で見ている姿が痛々しい。

 

 

条例で市の行事の使用用途は公開禁止

 これも市民との会話の拒否である。大垣市制100周年記念行事の3億4千万円の使用用途も不正の匂いがプンプンである。

 

待っている議員を無視

 大垣市役所の市長室前に、待合の部屋がある。そこで某市会議員が、市長が帰ってくるのを待っていた。そこに小川敏市長が帰ってきたが、待っている議員をまるで無視して通り過ぎて行った。その議員は怒り心頭であったという。やあ、ちょっと待って、とか挨拶するのが人としての常識である。小川敏市長にはそれがない。

 

会合で市民の発言禁止

 1年ほど前、ある部落で小川敏市長との懇談会が開催された。ところが事前に市の幹部が来て、「予定された質問以外は発言禁止」と申し渡された。当日、小川敏市長は30分も遅刻して現われ、謝罪の言葉一つなく、一方的に喋って去って行った。その住民は怒り心頭であったという。

 

商店組合との懇談会

  2000年、小川敏氏の市長初当選直後に、大垣駅前商店街組合が、市長との懇談会を開催したが、それはサクラをいれた懇談会で、真の発言は封鎖された会合であった。それを一回だけ開催して、住民との会話をしたとの名目の実績を謳い、以降、全くやっていない。2016年の4選前に、商店組合が商店街のシャッター通り化が進んでいるので、陳情の懇談会を市長に申し入れたら、小川敏市長は「今はその時期ではない」と拒否した。それ以降、現在まで開催されていない。

 新年互礼会の聴衆無視の挨拶

 今年の新年互礼会の寄り合いで、小川敏市長が来賓の挨拶をした。それも30分ほど遅刻して表れて、3分50秒ほどの挨拶をして、終わったら、次の会場があるとかで、一目散に逃げるように退席していった。その内容は無意味な形式的で時間の無駄であった。内容が支離滅裂で、何が言いたいのか理解不能であった。それも最後の1分ほどは、呂律が回らず聞き取り不能であった。あちこちの会場の掛け持ち祝辞のハシゴが原因だ。要は出しゃばりたいだけだ。

 以下、小川敏市長の挨拶文。見事なほど、論理構成がない。

 「新年互礼会の開催、おめでとうございます。今日は雨で、明日は大寒です。昨年は災害の多い年でありました。

 百周年記念行事も75を超えました。

 新市庁舎の建て替えが計画通りに進んでいます。一見遅いようですが、基礎工事が大切なのです。

 私は、お天気を晴れにするのが仕事だと思っています。(何を言いたい?)今のところ順調のようです。

 今年も順調に新しいスタートを切ろうとしています。新市庁舎はITを活用した市庁舎づくりに取り組んでいます。ITは日進月歩で、早すぎると陳腐化してしまう。

 (以降一分間ほど、市長の呂律が回らず、眼もうつろで、ほとんど聞き取り不能であった。)

 今後の皆さまの発展を祈念して挨拶としたします。これでお祝いの言葉とします」(以上で3分40秒)

Photo

目も虚ろで、呂律もまわらない挨拶をする小川敏市長

 

2019-03-28 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

コメント

コメントを投稿