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2019年3月21日 (木)

自分の命の値段

 ある日、自分が北朝鮮に拉致されて死刑を宣告されたとする。死刑は免れないが金を出せば1カ月間の時間余裕を与えると言われた時、自分は1カ月間の余命に、いくらの金を出すのか。その金額が自分の時間価値となる。

 

余命宣告

 己の健康管理の怠慢で病に冒され、余命半年と宣告されてから「金はいくらでも出すから助けてくれ」と医者に泣きつく御仁が娑婆には多くいる。無法国家に拉致されるのと状況は変わらない。医者は治療をするが、病気は治せない。しかし、死期の予想は正確に当てる。私も父の病気の時に医者から余命1年と聞かされ、それが余りにも正確だったので驚いた覚えがある。

 東日本大震災のように、突然津波に呑まれて命を落とされた方に比べれば、余命1年があるだけ、どれだけ幸せなことか。亡くなられた方々の無念がしのばれる。

 

死にざま

 松本明慶先生作の「魂(オニ)」の納佛された日(2014年7月16日)から1週間も経過しない日(7月22日)、韓国フェリー事故の船会社のオーナーが変死体で発見されたと言うニュースが入ってきた。6月には、100億円出すから中国に密出国させて欲しいと闇ブローカに交渉中とのニュースが流れていた。その最期はこの夏のなか、冬の高級コートを着て、周りに酒の空き瓶を置いての畑の中でさびしい服毒死か病死である。贅沢な生活に身を置いたが故、病身で余命は長くなかったようだ。それでも100億円の金を出して生き延びようとする。このオーナーは数百億円とも言われる財産を築きながらも、この有様である。フェリー事故で犠牲となった高校生達がかわいそうである。このオーナーは信徒9万人の新興宗教「救援派」(オカルト宗教と言われる)の教祖とも言われるのが、新興宗教では人が救えないことを教祖自身が証明したといえる。人の偉さ(醜さ)はその死に様に現れる。

 

悪縁の後悔

 余命1ヶ月の時になって後悔することが、その昔に付加価値を生まない悪縁との付き合いで、貴重な時間を無駄遣いしたことである。そのために、やりたいこと、やるべきことが一つできずに、先送りになったという後悔である。やれる歳になると、体がいうことをきかなくなる。そんな後悔を避けるために、悪縁の元を絶つことは、人生の価値を上げはできないが、下げる危惧を無くしてくれる。

 

 

 ご先祖から頂いた命は、能力を最大限に使って人生を全うしたい。安岡正篤師は、「人は学ばなくなったら、人間ではなくなる」とまで言う。吉田松陰は、「一日でも生きている限り、どんな状況においても学問か仕事に励むのだ」という。学ばないから、仕事をしないから、頭を使わないから、世の中に貢献しないから、認知症になる。「使わない器官は退化する」という自然界の摂理がそこにある。社会に貢献をしない人は、社会のお荷物である。仕事をすれば、多少なりとも税金を納め、社会に貢献することになる。脳トレをすれば認知症が防げるのではない。それは遊びと同じで、長くやると苦痛になり続かない。それは社会にとって時間とお金の無駄使いである。

 

   『命の器で創る夢の道』p75より

 2019-03-21 久志能幾研究所 小田泰仙

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