後は野となれ山となれ
この句は、此の世でやるべきことをやりきって、全ての執着心を捨てて、あの世に旅立つ心境である。ある意味で「人事を尽くして天命を待つ」を裸の本心で表した言葉である。人生の最期で到達する心境である。
人は裸で生まれて、裸で死んでいく。あの世には何も持って行けない。それが分かってからが、本当の人生のスタートである。それが分からない御仁がゴマンといるから、遺産相続関係で醜態が絶えない。死に際が見苦しい。
何に執着して、此の世に未練があるのか。「後は野となれ山となれ」の心境こそ、悟りの心境である。いくら金があっても、死の間際では体力的にも、精神的にも金など使えない。だから未練が残る。だからこそ、使える時に、世の為、人に為、己のためにお金を使ってこそ、お金の価値が出る。それで悔いを残さず、「後は野となれ山となれ」の心境になれる。
馬場恵峰書
2019-03-28 久志能幾研究所 小田泰仙
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