大垣行政は目玉の交換を
目玉の交換
現在、私は愛車を18年間も大事に乗っている。まだ11万キロ余の走行距離数で、エンジンも快調である。しかし車を10年も乗ると、経年変化でヘッドライトのガラス部(樹脂)が黄色っぽくなってしまう。まるで人間様の目の水晶体が、白濁して、白内障になったようだ。これはいくら磨いても元の透明度は得られない。明るさを取り戻す手は、ヘッドライト全体の交換である。
5年ほど前にヘッドライト全体を交換して、(ヘッドライトだけは)新車同然となった。この交換に約10万円も要したが、車のヘッドライトの明るさを取り戻せたので、交通事故防止となり、安全性も向上した。
小さな改善の積み重ねが、己の命を守ってくれる。(良性の)塵も積もれば、お宝だ。人生で勝利を勝ち取るには、大差は不要だ。微差の積み重ねが、人生を豊かにする。
人生のヘッドライト
人生で、一番大事なことは、周りと行き先を照らしてよく見ること。自分の存在をよく見てもらう事。そのために、己の行き先と自分の存在をより明るく照らすこと。事故のほとんどは、自分が相手を見えていないことと、相手が己を認識していないことに起因する。人生事故を防げ。
私が出張で1985年にスウェーデンに行ったとき、昼間でも車はヘッドライトを点けて走行するのを発見して感心した。交通事故防止のため法律で決められているという。己が見るのではなく、相手に自分の車の存在を知らしめるためだ。それは人生道でも同じ。
そのために、燈火としてのヘッドライトを明るくすることは大事だ。自分のやりたいことを、周りに知らしめることは、大事なこと。黙っていると、何を考えているか、どこに行くのか、回りは不安になる。己が燈火を明るく示せば、助言も批判もしてくれる。
大垣市政の行き先とは
今の大垣市長は、大垣市民をどこに連れて行こうとしているのか、その燈火が全く見えない。まるで灯の消えた中で盆踊りを踊っているようだ。「大垣未来ビジョン」は、役人の作った「お作文」で、紙面を字で埋めて、予算の消化のため、金を使って体裁を整えただけで、さっぱり行き先が分からない。
後世に悔いを残す行事ばかり
市長は、単に金を業者にばらまき、自己満足の虚栄の花を咲かせて踊っているだけのように見える。やっていることが、後世に残らない事業ばかりである。
大垣市制100周年記念行事で、大垣の歴史100年には無関係のミッキーマウスを呼んで、税金を600万円も浪費している。ミッキーマウスは、むしろ大垣大空襲を招いた犯人なのだ。
大垣のために釘一本打たなかった「大垣さん」100名を、全国から1000万円を出して招待して、一体何になるというのか。どういう経済効果を未来に残せるのか。大垣の恥さらしである。
地方紙の病状
痴呆紙が悪乗りで、一営利企業の「TDL宣伝パレード」や予算消化行事の「大垣姓100名無賃パレード」、一営利団体であるギネス社の金儲けの「毒饅頭共食い愚劣記録」を賞賛している。その行事に翌日は、大垣駅前通りが、いつもの幽霊通りである。それが分からないのでは、あほかいな、である。大垣が衰退すれば、地方紙も消滅するのに、それが分からないようだ。大木が倒れれば、寄生虫も死ぬのだ。地方紙の購読者数の減少傾向が止まらない。故あること。
記者さんよ、あなたの記事が、自社の新聞をダメにしている。もっと建設的な記事が書けないのか。貴方の記事が、己の未来を象徴しているのだ。お抱え記事を書けば、己の人生が、迎合の、思考なき人生を歩むことを予言している。
市長の病名
そういう事業を筆頭に、大垣行政のやることは愚劣な行事や事業ばかりである。小川敏市長は、人生の白内障に罹っているようだ。この病状を別名「よくない症」、「欲内症」、「儚い症」、「薄亡い症」ともいう。
我々は、大垣市という乗り物に乗って、あるべき未来に向かって自分の人生を進んでいる。その大垣の行き先を見つめる目玉が、白内障に罹っては、迷走である。目玉の交換が必要だ。
2018-10-11 久志能幾研究所 小田泰仙
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