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2018年10月17日 (水)

磨墨知610 釣りをしない

 生業で魚を捕るのは許せるが、生物の殺生で遊ぶのは許せないと思う。それで遊んでいては、時間は創れない。娯楽としての釣りは、自然界の原則に反する行為である。釣りをするならスーパーでお魚を買おう。

 だから私は、魚釣りはしない。生き物を遊びの道具にするのは、命の冒涜だと思う。漁師のように仕事として、お魚を取る行為は別である。漁師は、毎年、その命に感謝する神事を行っている。趣味で魚を取る人が、神事をして、生き物に感謝の神事をしているという話を聞いたことはない。我々は、他の命を頂かないと生きていけない。せめて感謝をして頂こう。

 それなのに、生物で他の生き物を殺して遊ぶのは人間だけだ。しかし、遊びでその命を弄ぶのは、神仏への冒涜だと思う。昔の欧米人が、アフリカやアメリカ大陸で人間狩りをしたのと同じではないか。

 ある和食料理店で、今までやっていなかった魚の供養を、毎年するようになって、お店が繁盛するようになったという話を聞いた。万物の頂点に立つ霊長類の人間として、生き物を遊び道具に使うのは、命への冒涜である。私は『釣りバカ日誌』の映画は見ない。私は、現代日本の魚釣りブームを、日本の退廃の象徴として見ている。

 

2018-10-17 久志能幾研究所 小田泰仙

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