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2018年9月 7日 (金)

お釈迦様と人生の逆走者

 いつもは寡黙なお釈迦様が最後の大事な法話をされるというので、3000人の弟子が集まった。

信心深い弟子たちは、心待ちにお釈迦様が口を開くのを待った。傲慢な弟子は、「釈迦が最後に大事な法話をするというなら聞いてやろう。どんな話をするか見ものだ」と上から視線の態度でお釈迦様を見つめていた。

 しかしいくら待っても、お釈迦様は、じっと目をつぶり座禅を組んで瞑想を続けておられた。舎利子(お釈迦様の一番弟子)が、「お釈迦様、皆がそろいました。ご法話を」と。それでもお釈迦様は瞑想を続けた。

 そのうち、弟子が一人去り、二人去りと座を立って行った。舎利子が「お釈迦様、ご法話を」と2回目の督促をしても、じっと目をつぶり座禅を組んで瞑想を続けておられた。しびれを切らして、さらに多くの弟子が席を立っていった。

 ほとんどの弟子がいなくなった頃、お釈迦様はおもむろに目を開けて「さて、本当に私の法話を聴きたいという弟子だけが、残ったようだ。それでは法話をしようか」とお話を始められた。

 3千人いた弟子で、残っていたのは23人だけであった。口先でお釈迦様をいくら美辞麗句で褒めても、実際に残るのは3千人いても23人だけなのだ。後の衆生は、お釈迦様の説く道を逆走する裏切り者なのだ。

 

法華経の教え

 以上のお話は法華経に書いてあるお話である。いくら口で美辞麗句を並べても、実際にお釈迦様の教えを行動に移す人は千人に3人である。千三つとはよく言った言葉である。

 昨年の2017年、私は、馬場恵峰先生の90歳の卒寿記念として『馬場恵峰卒寿記念写経展 報恩道書写行集』を書籍として発刊した。馬場恵峰先生がこの30年ほど揮毫してきた写経の軸、書、屏風を長崎波佐見町の「馬場恵峰卒寿記念写経展」で展示され、それを私が写真に撮り編集をして、写真集として出版した書籍である。

 

出版顛末記

ところが全く売れない。買ったのはお弟子さん達だけで、関係のお寺さんも見向きもしない。先生が講師として、1億数千万円以上の売り上げに貢献した大阪のN教育研究所のT社長が買わない。直接、案内を送っても、社長もその幹部も買わない。その社長は、口では道徳だ、人徳だと宣伝して商売をしている。先生にお世話になっている九州のT塾のO社長が買わない。その関係者が買わない。その社長たちや幹部は、「先生には大変お世話になっています」と口では言うが、肝心な時はそっぽを向く。大会社の社長の身で、わずか7000円の出費なのに。なぜ恵峰先生の卒寿のお祝いの心が表せないのか。社長業は家庭の主婦ではないのだ。私はT社長とは縁を切った。

 

2000年の人間の歴史

それが「人生の真理だ、2000年前の法華経にそう書いてある」と、恵峰先生から慰められた。「それでその社長や関係者の人間性の本音が露見して良かったね。今後の付き合い方を変えればよいのだ」と恵峰先生から慰められ、先生と今回の事象を慰め合った。本が全く売れないのは、恵峰先生にも想定外であったようだ。恵峰先生が、心血注いで揮毫してきた写経集である。年老いてからの、世間から突き付けられた厳しい現実である。ゲーテが言うように、「努力は人を裏切る」のだ。今年の初めの話である。

 

人生の真理

私は、今回の顛末で法華経から人生の真理を学んだ。2000年の風雪に耐えた経典は素晴らしい。司馬遷の『史記』に出てくる人間模様と同じく、人間の本質は2000年前と何ら変わっていない。むしろ拝金主義の横行で、人間性が劣化しているようだ。

 

2018-09-07  久志能幾研究所 小田泰仙  

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