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2018年8月10日 (金)

第二段 苦

子供に地獄を見させる一番の手は、何不自由ない贅沢な生活をさせること。苦労を知らない子は、将来が地獄である。苦労があるから知恵がつく。

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馬場恵峰書  五重塔の正面の和歌

Photo_2  馬場恵峰書

人生道千曲がりでのご縁

 還暦を迎え、歩いてきた過去を振り返ると、人生道千曲がりの下り道でも、自分の修行としての下り坂で、頂上に上るためには通らなければならない道であったと、今更ながら運命の悪戯に感謝している。悪路を歩いている間は、目先の試練で五里霧中、それどころではない。しかし過去は、考え方を変えれば、その悪い経験が己の修行であったと、過去の見方を変えることができる。そうすれば自分の未来が変わる。過去を肯定せずして、自分の未来はない。

 

人智を超えるご縁

 逆縁の菩薩に出会わなければ、出会えない師とのご縁がある。新しいご縁は、縁あるもの死なくしては、生まれてこない。来る縁が良い縁か悪い縁かは、棺を覆ってからしか分からない。良縁も悪縁も全て己が招いた因縁で、それの因果を解釈する姿勢が重要である。どう対応するかは対処療法で些細なことである。来た縁が良いものにするように向き合うが正しい根本療法である。来る縁に善悪はない。全て選択と解釈の問題である。悪縁と見えても、その後ろの良縁が隠れていることが多く、人智では計り知れない。選択不能の事項なら、受け入れるしかない。それに無駄な抵抗をするから地獄を見る。不幸の時は、不幸を楽しめばよい。死ぬ時は死ぬがよい。それも人生である。還暦でやっと悟れた境地である。

 

欲というフィルター

 「老」には「結ぶ」という意味がある。親子が生物の発展の形である。物事は結ぶことで生成発展する。結婚しかり、合併しかり、異質なものが結び合うことで新しいものが生成される。それを「化成」という。ニンベン「イ」は背の伸びた若者、「ヒ」は腰の曲がった老人の姿である。親子が結ばれて新しい価値が生まれる。それが「化」の意味である。

 己とは異質の人が福を運んでくれる。時に、人の本気度を試すために、福の神が貧乏神の全く逆のコスプレで来るときもある。老心は百面相である。老心は異質なものの昇華体である。だからその衣装に騙されないようにしよう。人間界の投影が神の世界である。神の世界もコスプレが大流行である。神には、裕福も貧乏もない。それを決めるのは人間の欲というフィルターがかかった目である。来る人が貧乏神に見える時は、目が曇っている時。目が曇っていては、真実が見えない。そんな状態では、人生時間も稼げない。

 

心眼の病気「欲内症」

 人が罹る目の病気に白内障、緑内障がある。心の目が罹る病気の一つが「欲内障」である。良くない症状である。これは手術では直らず、火葬で灰にならないと消えない。禍があるから福が光る。人生の禍福の合計は、人生と言う長い尺度では差し引きゼロである。「不遇な時期は、人生の蓄財の時。自己充実を図れ」が佛様のメッセージである。

 

2018-08-06  久志能幾研究所 小田泰仙  

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