そんな話しは聞いていない
危機管理37
そんな話し聞いていない症候群
「そんな話は聞いていない」とは、よく責任者が発する言葉である。ひどい上司になると「小田君、私はその話を聞いてないことになっているからな!」と私にクギをさして、唖然とさせられる事例もよく経験した。しかし、責任者がそれを言ってはおわりである。そんな人が経営していた会社も今はない。
「そんな話は聞いていない!」?
「でも、今聞いたではないですか?」
聞かなかったのはタイミングの問題で、不可抗力もあるかもしれない。でも、今聞いたでしょ。責任者として、その時点でどう判断し、どう処置するか、が問われている。聞いた時点で、責任者として適切な手を打てば大火にはならないのだ。ところが多くの責任者は、「そんな話は聞いていない」と逃げるのである。そう言って逃げる人は、どうせ前から聞いてもまともな手を打てない人なのだ。だからこんな言葉を発する。
「そんな話は聞いていない」を禁句にする人は、部下をきちんと上司に報告させるし、そのように部下を指導教育している。だからそんな事件は起こらない。その前に手を打っている。「そんな話は聞いていない」と言う人は、部下をそのように無責任体質に汚染させている。だから必然的に問題が起こる。情報を本人に伝えないような状況を作りだしているのは、当の上司なのだ。
そんな話しの顛末
2000年夏の雪印乳業食中毒事件で、当時の社長が記者団に囲まれて、思わず「私は寝てないんだ!」と発した状況は、社長自身が作りだした。しかし、今回の悲劇は当の社長がその原因を分かっていないこと。なぜそんな事故や事象が起きたのか、それは責任者が分かっていても、その正しい処置を取らなかったことに起因します。「そんな話は聞いていない」ではなく、そのような状況を当の責任者が作りだしている。結果として、責任者(リーダー)が間違った判断をすると、組織の全員が不幸になるのです。それ故、責任者を選定するとは企業にとって重い決断です。貴方はだれを後継者にして、どのように指導育成するか、どんな価値判断で選ぶか、それが問われた事件だと私は観察した。その結果、2011年4月1日に雪印は消滅し、2016年10月20日、三菱自動車はゴーン社長への貢物となった。
「そんな話」は感性を高めていれば、自然と耳に目に入ってくる。その業務に人並みの責任感さえあれば、気づく類なのである。聞いてないとは言いながら、実は責任者も薄々は知っていた話が多いはず。特に大きな問題になるような事象は、それを示唆する事前現象があったはず。雪印食中毒事件も三菱自動車リコール隠しも前の東海村の臨界事故も同じだ。その話を聞いた時点で正しい判断と行動を取れば、一時的なロスは生じても最悪の事態はさけられたはず。的確な処置さえとれば、却って信用が増す場合もある。それを「聞いてない」と責任転化する体質が悲劇を生む。無責任から引き起こされる損失は、雪印や三菱自動車のように企業の存続問題に発展する(初稿2003年10月30日)
2018年3月15日
久志能幾研究所 小田泰仙
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