命をケチる
大垣藩の最後の藩主であった戸田共氏の戸田伯爵夫人の極子は、岩倉具視の三女である。その岩倉具視の件の調査の関係で、2016年9月20日頃、京都の知人に電話をしたら、彼の27歳のご子息が自殺をされたとの話を聞かされた。そのためとても、聞きたいことも聞けなかった。これも戸田伯爵夫人の調査がなければ接せることのなかった事件である。自殺という重たいテーマのご縁をいただいた。
多くのご恩のお陰
人は一人では生きてはいけない。今の生まれた命や支えて頂いている多くの人たちのことを思えば、自殺はありえない。自分一人で、自力で生きていると思い詰めるから自殺になってしまう。先祖、親、師、隣人、友人の恩があって生きていると悟れば、自殺はありえない。絶望の時、相談する師がいないと、路頭に迷う。所詮、人間界で起きた事象は、人間界で解決できる。思い詰めるとあの世に行っても解決はできない。家族や師との会話があれば、自殺は防げるはず。家族、師とのコミュニケーションを大事にしたい。
馬場恵峰書 2016年9月27日 揮毫
同級生の自殺
1973年4月1日、入社日の夜、同級生が自殺をした。クラスで成績2番の秀才である。夜の就寝前に電気コードを体に巻き、タイマーをかけての自殺である。原因は不明だが、45年経った今でも、頭の隅から消えない事件である。
叔父の自殺
1988年4月2日、親戚の叔父が鉄道飛び込み自殺をした。当日は一人息子の入社日である。それが遠因で息子の人生が暗転した。しばらくして、彼は会社を辞め、その後も数回の転職を繰り返すことになった。なにも息子の入社日に自殺をしなくてもとは思うが、本人はそれさえ考えが及ばないほど追い詰められていたのだろう。その為だと思うが、彼の孫は3人とも日本の最高学府を卒業しながら、10年間も就職浪人である。なにか考えさせられる。
講師の自殺未遂
2000年頃、私は地獄の研修を受けた。その研修講師のKさんから自殺未遂の話を聞かされた。Kさんは元会社経営の社長で、会社経営に行き詰まり、絶望して車ごと崖から飛び降りるつもりでアクセルを踏んだが、家族の顔を浮かび、崖の直前で思いとどまったという。自分を支えてくれている家族が、自殺を引き留めてくれた。
師としての信用自殺
自分が思い詰めて、師と仰ぐ人に相談に行っても、その師が「忙しい」とかの言い訳で逃げられると、百年の恋にも似た師への尊敬の念が雲散する。何時でも何でも何処ででも相談に乗ってくれるのが、真の師である。それは現世の人とは限らない。本の中にも真の師は存在する。私は師と崇めていた人の本質が露見してから、その人は単なる人生の水先案内人であると悟り、距離を置いた。講師が師としての信頼を自分で殺したのだ。
緩慢なる自殺
自分を支える一番の御恩ある御本尊が自分の体である。命が短くなるのが分かっていてなぜ、不摂生、煙草、暴飲暴食に走るのか。己の体を痛めつける生活習慣、食生活(飽食)、悪い食べ物の多食は緩慢なる自殺である。過労死も、仕事と命を天秤かけて値踏みして、仕事の方が大事とする誤った判断の結果の自殺行為である。過労死をして誰が喜ぶのか。仕事とは、人に喜ばれてナンボである。
他人の命(時間)の軽視
2018年3月8日、ある会合に出かけて、その人の軽自動車(顧客からの預り車)に乗せられた。その零細企業の社長は、運転中にかかってきた顧客の電話の応対で忙殺されていた。社長クラスの人を3人も乗せて、安全面で問題がある軽自動車で携帯電話を掛けながら運転するのは、自殺行為である。その社長は会合中も、会議に途中で皆がイベントの打ち合わせをしている中、妨害するように、何度も携帯電話をしまくっていた。会合に関係ない電話の時は、席を外して会議室の外で電話をすべきである。その社長は会議に参加した人の時間(命)と自分の仕事の忙しさを天秤にかけて、自分の仕事を優先したのだ。人のことは知ったことではないのだ。命や人の時間を粗末にする人を計値(ケチ)という。
ケチとは
計値(ケチ)とは、命と快楽・仕事を天秤にかけ、値踏みをする愚行である。食欲の快楽に身をゆだねるのが情けない。その仕事をしてくれる人は他にもいる。世の為になる仕事は皆で行ずればよい。仕事を自分一人でやろうとするから、無理が出る。偉大な仕事は多くの人が協力して成し遂げられる。人を悲しませては、その仕事に傷がつく。己の命の代わりはない。多くの御恩に支えられて、自分が生かされている。自力ではない。
ケチの行く末
ケチとは己の狭い視野で値踏みをすること。ケチな人は目先に囚われて、短絡的・短期的な視野でしかものが見えないため、10年後に損をする判断をする。佛様の差配は人智を超える。回り道にお宝が埋まっている。佛様も元は人の子、陰徳を積めば佛様も恩義を感じて、10年後に利子をつけて倍返しの報恩をされる。
ケチの究極の姿が、植民地獲得の侵略戦争、民族虐殺、利己主義、成果主義、グローバル経済主義である。一時的には儲かったように見えるが、結末は妬みの文化の氾濫、冨の偏在、格差の拡大、移民が原因の暴動頻発、1%の人だけが富み、99%が不幸になる社会への転落である。
人は、ものが見えているようで、実際はその本質の10%しか見えていない。残りの90%は人智を超えたベールに覆われている。人は狭い視野でものを見て、全て分かったと自己満足の値踏みをしている。それがケチの根性である。人は実態の10%しか見えないのに、あたかも全て分かっているかのような顔をして経済学者は学問を振り回す。もしそれが正しいのなら、経済学者は全て大金持ちや成功者になれるはず。学者とは単なる知識を切り売りする者である。学者は本質を凡人には難しい表現で煙に巻く。得た知識から知恵を生み出す人が人生で儲ける。得た知識を死蔵では、情報センタの門番でしかない。知識は実社会で知恵を付加して活用してこそ、付加価値が生みだせる。
先に生まれた人から浄土へ逝く。何も焦って追い越さなくとも、お迎えは来てくれる。人生道では追い越し禁止である。頂いた命をお大事に。生きるとは祈りである。
割り込みは 許されないよ 浄土道 (馬場恵峰作)
文句なし 今のままでは 極楽素通り地獄行き (馬場恵峰作)
狭き門 極楽寺坂 すべり落ちるな (馬場恵峰作)
2018-03-08
久志能幾研究所 小田泰仙 e-mail : yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp
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