人生の4つの目標
人は下記の4つの目標を定めないと人生の道に迷う。
・宗教を知る
信が生まれる。
・文化を知る
智慧が生まれ、物事を正しく観られる。
・道徳を知る
掟を知り、命を正しくする。
・社会を知る
定(おきて)を知り、定を正しく運用する。
人生での自己表現
身を殺さず、盗まず、犯さず。口を偽らず、飾らず、二枚舌を使わず。心をむさぼらず、そねまず、過たず。そうして身口意を、全て完遂するのが「智慧」である。人生で自分を磨き、最善を尽くすとは、「忙中に閑あり」である。
文学は感情の表現で、心情の輝きを表す。工学は数値での感情表現で、技の輝きを表す。音楽は観性の物理的表現で、心の振幅を表す。政治は人の差配の技で、人々に安堵を与える。
人間と動物の差
人間と動物の違いは、精神的な活動の有無の差である。人間として精神の世界を持つかどうかで人生が変わる。飲み食い睡眠だけの生活に堕落すると、動物となんら変わらない。精神的な存在を信じないと、人生の目標など思いもつかない。その精神世界の一つが宗教である。人は坂道に置いた球のような存在である。放っておくと下に転げ落ちる。自戒を持ち、自省をして動物界に堕ちないように、行動の戒めとして方向を定めてくれるのが宗教である。それはどの宗教でも同じである。神も佛も己の心の中におわします。だから私はオダブツ教の教祖である(?)。
動物界でも支配欲がありその集団のボスの座を巡って壮絶な争いも起きる。しかしボスはその集団の未来を考えて支配するわけではない。単に支配欲、雌の独占欲だけでの世界である。
最近の世相では、組織のトップになりたいだけで他を押し除けトップに立ち、自分のためだけで経営をして、結果として企業不祥事が露見する事例が多発している。すべて利己主義に起因する。サル山の集団となんら変わらない。すべて経営の目的が、自分の利益慾だけできた咎である。グローバル経済主義の弊害である。
目標と手段の混同
その人生目標を東大に入ることや社長や市長になることを目標とする人がいる。目標と手段を間違えると、その世界は畜生道の世界に堕ちる。大学合格が目標なら、大学に合格後は、遊び惚けるのは必然である。目的が有名大学に入ることにあって、その道の専門知識を学ぶためではなかったのだ。社長や市長になることが目的だと、その経営で目標などは掲げない。経営上で、あるべき目指す姿やビジョンを描けないので、経営でも市の運営でも、成り行き任せで社員や市民のことなど知ったことではない経営や行政となる。まるで大垣市政のように。
大垣市政を考えると、小川敏氏は市長になることを目標としてきたように思える。大垣市の未来をどうするかは考えていないのだ。だからビジョンがないのだ。
馬場恵峰師 91歳 2017年4月9日 新潟での講演会
本原稿は、馬場恵峰師の新潟講演会(2017年4月9日)の講話内容をヒントに構成しました。
2018-01-04
久志能幾研究所 小田泰仙 e-mail : yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp
HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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