創造での大垣再生を目指して
「大垣市中心市街地活性化基本計画」の検証2
表記の計画書(平成27年制定、平成29年11月29日変更)に設定された目標値が詐欺まがいである。目標値がにぎわいの創出で、「休日歩行者・自転車通行量」とあるが、お役人の自己保身に固まったまやかしの目標項目である。
p18のグラフでは、中心市街地の年間売上額の34百万円(平成11年)が、平成24年には18百万円へ半減している。この大きな問題点があるのだから、年間売上額を目標項目にすれば、単純明快である。それを黙殺する大垣市の狡猾さが露骨である。
目標項目の狡猾さ
にぎわいの創出の数値目標として「中心市街地の休日歩行者・自転車通行量」が次のように定められている。
現状値 12,189人(平成26年)
目標値 12,688人(平成32年)
なぜ「休日」なのか? イベントのあった時は、確かに人出が増えるが、それは一時的な事象である。平日も含めて人出がコンスタントに賑わう大垣にすべきなのだ。異様なイベントだけ人出あり、平日は死の街では、意味がない。現実は、元気ハツラツ市で、普段より人出はあるが、商店街は儲からず、市外に業者だけ儲かる図式で、平日は死の街である。そしてだんだんと市が寂れていく。それには大垣市は目も向けない。
欲しいのは休日の歩行者の増加ではなく、街の活性化である。商店街が活性化すれば歩行者が増えるのだ。目標値の設定が、順序で逆である。
なぜ「歩行者・自転車通行量」が目標項目なのか? 多くの歩行者通行量があっても、元気ハツラツ市のように、地元の商店街にはお金を落とさない観光客ばかりでは、街の活性化にはつながらない。人が集まっても、商店街にはお金を落とさず、露店商に金を落とすだけである。寂れた商店街には、後日、誰も来ない。
目標項目は、商店街売上高、税収にすべきである。結果が明確になるはずだ。なぜそうしないか? 鉛筆をなめて作った政策の誤りが露見するからだ。
幽霊調査 = 意味のない歩行量調査
大垣市は、平成21年から毎年、歩行者・自転車通行量を調査しているが、それでどんな付加価値をだしているのか。その価値が無い。税金の無駄遣いである。まるで市の職員は亡霊の影を追う幽霊である。大垣市役所の職員は、足が地についていない。歩行者の通行量とは陰である。実像は、通行客がお店に入って落とすお金である。それを計測せずして、実像はつかめない。だから正しい対策が打てないのだ。だから、大垣市は衰退していく。それに気がつかない愚かさが哀れである。それでもリストラされないお役人には幸せである。そんな状況に陥れば民間企業なら、倒産、首である。今のお役所には厳しさが無い。
歩行者・自転車通行量の捏造疑惑
なぜ目標項目を、商店街の売上高、税収を目標値にしないのか? 政策の不備からの逃避としか考えられない。大垣駅前商店街の売上が減り、売り場面積が減り、従業員が減り、それでいて、なぜ歩行者数が変らないのか? それはデータの捏造以外に考えられない。大垣駅前商店街のある店主に聞いても、このグラフの値は実態とかけ離れた数値だという。歩行量の測定など、後からどうでも細工ができる。どの時間帯で、どの天候で、気温で、等の状態で計測したデータかは明記が無い。歩行者数の計測では、時間帯で幾らでも変わるし、データの加工も自由自在である。
なぜ平成11年からのデータが無いのか? それを載せると市役所に都合が悪いから載せないとしか考えられれない。
指標にするなら、そういう影響の受けない万人が納得できる指標にすべきである。例えば、商店街売上高、税収である。
「創出」を使う不遜さ
計画書では「にぎわいの創出」と、記述しているが、血の滲む苦労など無縁の大垣市のお役人が、鉛筆をナメナメして「創出」の言葉を安易に使って欲しくない。「創出」とは、血みどろになって物事を作り出すことである。
「創」からの学び
極限での闘いが創造という生命力を生み出す。創という文字の偏である「倉」には、傷という意味がある。つくりの「リ」(りっとう)は、刀の意味である。つまり「創」という字は、刀傷を表している。「創造」という文字は、刀で切られた傷を思い描かせる。刀傷は、戦闘状態の時に敵に切られて出来る。刀傷だから深く切られれば死ぬが、浅く切られたキズは、時代劇の一場面のように、焼酎を吹き掛け晒をまいて「死んでたまるか!」と気合を入れれば、傷跡に肉が噴き、直っていく。そしてその新しい肉と皮膚は、以前に増して強固になってくる。これこそが人間の生命力であり、創造の「創」につながる。平穏無事な逃げの状態から、決して「創造」は生れない。
ビジネス社会では、傷を受けるとは失敗を意味する。人は失敗を恐れて、刀を避けようとする。しかし大抵の場合は、うまく避けられず、妙な所に傷を受ける。正面から対峙せず、逃げたために脇腹を切られたりもする。また自分が避けたがために、後の人間が傷を受けることもある。真剣に仕事をするなら、真正面から切られる勇気を持つべきだ。傷を恐れてはならない。傷を負ったとしても、それは必ず再生できる。そして再生され傷跡は、今までよりも確実に強固になる。「創造」とはゼロからのスタートとは限らない。今あるものをどんどん進化させていく。新たらしいものに生れ変わっていくことにこそ創造である。
傷つかなければ進歩もない No pain, no gain.
仕事での創造
ドレスデントリオのアンドレアスも、同じ曲を何千回、何万回も演奏しても、場面が変り、時代が変り、自分が成長することで、そのたびごとに新しい発見があるという。そこに求道者の姿を見る。それこそが創造である。そういう意識が無いと芸術の世界で創造はできない。創造とは、日本創造学会の定義では、今あるものの分解と再構築である。そこから新しい価値を生みだすことである。自分の仕事、生きざまに、「創造」を作り出したいと思う。
挑戦と創造
今の大垣や日本が衰退しているのは、問題を起こさないように、失敗をしないようにと、後ろ向きの姿勢を取っているためだ。それは創造とは対極の姿勢である。挑戦とは創造なのだ。血まみれの失敗だらけの取り組みをして、初めて果実を得るのだ。失敗は敗北ではない。その過程で多くの経験と知恵を得る。それが人生のお宝である。今の日本人には、その挑戦という気概が欠けている。だから創造できないのだ。デフレが止まらないのだ。
お役人の負の特性
傷つくことや、失敗を恐れるのは、お役人の最大の負の特性である。お役人は減点主義・官僚主義の社会なのだ。それは成長の無い世界なのだ。創造とは対極の世界なのだ。だからうまくいかない。こんな役人に大垣市を任せるから大垣も日本も衰退していく。PDCAを回さず反省もせず、同じ失敗を何度も何度も繰り返し、大垣を没落に導いている。その引導書が死の「大垣市中心市街地活性化基本計画」である。
添付ファイルp18.PDFをダウンロード 大垣市中心市街地活性化基本計画」p18
添付ファイルp69.PDFをダウンロード 「大垣市中心市街地活性化基本計画」p69
添付ファイルp70.PDFをダウンロード 「大垣市中心市街地活性化基本計画」p70
添付ファイルp71.PDFをダウンロード 「大垣市中心市街地活性化基本計画」p71
「大垣市中心市街地活性化基本計画」は大垣市のHPに掲載されている。
2018-01-19
久志能幾研究所 小田泰仙 e-mail : yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp
HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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