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2018年1月 5日 (金)

大垣市衰退の元凶 小川敏大垣行政

日本の痴呆都市行政の典型と退廃

 最初に言葉ありき(マタイ伝による福音書)

 方針が全て(経営の原則)

   人が全て(人生の原則)

 

 大垣市が衰退した原因は、大垣市を衰退に導く方針書「大垣中心市街地活性化計画」であり、間違った市の行政方針であり、行政に「人」がいない、である。その元凶の中心が小川敏大垣市長である。

 

トヨタの再興

 トヨタの中興の祖と言われた石田退三は、乾いた雑巾をさらに絞るとまでいわれるような倹約に務めて金をため、効率向上を人に求めてはならぬと、その金を設備投資に回して、傾いたトヨタを建て直した。その過程でトヨタ生産方式を生み出した。商売人であった石田退三は、豊田佐吉から薫陶をうけ、技術者が伸び伸びと技術開発に取り組める金と環境を整えて、トヨタを「世界のトヨタ」にする環境を整えた。商売人の石田退三はケチだけでトヨタの社長を務めたのではない。その昔、豊田喜一郎が自動車事業を始めるのに、一番大反対をしたのは、その石田退三である。その石田退三がトヨタを再興させた。歴史の心地よい皮肉である。

 そのトヨタが新しい本社ビルを建てたのは、世界一のGMの背中が見えた2005年である。トヨタは2008年に世界一の座になる。それまで、これがトヨタ本社ビル?と呆れるような質素な本社ビルで過ごしていた。

 

大垣の盛興

 歴代の大垣藩主の戸田公は、教育を重視して、人への投資をして、大垣を文化の街、学問の街、中部の交通の要所の都市に育てた。文化として花開いた元禄時代には、俳聖松尾芭蕉が、「奥の細道」の結びの地・大垣にたどり着き、大垣の俳人達と友好を暖めた。明治になって大垣は博士の街として名を全国に名を轟ろかせた。明治初期には、大垣は全国平均の40倍の博士出現率であった。明治時代に日本国体の骨格を作った偉人を多く輩出した。現在でも、350年前に大垣に入城し統治をした藩主の遺徳とご恩を偲んで、毎年、十万石まつりの最初に常盤神社で感謝の神事が行われる。

 

大垣の衰退

 現在の大垣は、文化の街、学問の街として見る影もない。教育、文化に金をケチり、トンチンカンなことに金を使う小川敏大垣市長の責任である。今はやれ祭りだ、元気ハツラツ市だと下品な人集めのお祭りばかりをすることで、市の活性化を目指している。順序が逆である。根を育てれば、花は咲くが、根を育てず、花だけを強制的に咲かせて(祭りばかりの行事を開催)、市のにぎやかさを見せつけているだけである。ますます根が衰退していく。咲いているのはあだ花(他市の業者だけが儲かる)である。

 衰退しいていく状態で、先代が貯めた金(市民税)で小川市長は分不相応な新市庁舎を建てている。トヨタと逆のやり方である。小川市長は節約した金を、未来に投資をせず、自分達の自己満足の宴に使っている。

 

大垣市の惨状

小川敏氏が平成13年に大垣市長に就任してからの負の成果

 この世では最高のことしか起こらない。小川敏市長は、大垣が衰退するような政策をしただけである。下記は、平成11年から平成24年のデータ(大垣市公表データ)。平成29年までの統計を確認すればもっと悲惨なはずである。

駅前商店街のお店数  560店 → 361店    36%減

駅前商店街の従業員数 2,440人 → 1,901人  23%減

駅前商店街の売上   34,656 → 18,048千円  48%減

駅前商店街の売場面積 59,108 → 37,819m2   36%減

空き店舗数      44 → 36店(嘘の大垣市公表データ)

 上記には、「かくれ空き店舗」が集計に入っていない。現在、シャッターを下ろしたお店61%。既に消えたビルのテナントを計算に入れると192店舗中、117店舗が店を閉めた。

 

公示地価の下落   152千円 → 135千円   12%下落

 大垣駅前の高屋町1丁目53番地(平成21年~平成26年)資料岐阜県(p14)

 大垣で一番高い土地がこのテイラク。

             

駅前商店街の商店主へのアンケート調査では5年前に比べて

 顧客数が増えた   3.7%

 顧客数が減った  60.2%

 売上が増えた    3.7%   

 売上が減った   63.0%

 市民の買い物調査では、中心地に買い物に行く頻度が増加したのは36.5%である。つまり残り63.5%は、中心部に買い物に行かなくなった。

 「大垣中心市街地活性化計画」(p17~19、36)より

 

 小川敏氏の本音は、大垣を多くの人が住む街にしたい、と考えていると推定される。そのためには商店街など潰れてしまえ、と思っているようだ。それが「大垣中心市街地活性化計画」の方針書の行間から透けて見える。

 順序が逆で、大垣が繁栄すれば多くの人が住みたいと集まってくる。今は住むのみ見栄えがよい景観だけに投資をして、未来への投資をせず、繁栄とは逆の政策を施行している。この世では最高のことしか起こらない。その結果が小川市政17年間での大垣の没落である。

 

ドラ息子のたとえ話

 たとえ話にすると、養子に入った商人の家のドラ息子が、商売の稼ぎが減ったので、自宅に多くの人が来訪すれば繁盛すると勘違いをして、自宅の見栄えを良くするために家のリフォームをして、自宅で祭りを頻繁に開催して金をばらまき、趣味で人を集めるようにした。それで有名な賞(ユネスコ)をもらったと自慢しているようだ。賞をもらわなくてもいいから、日銭で確実に稼げるような商家にすべきだが、そんなことには頭が回らない。

 その挙句、商売で稼ぐための店舗作りは放置して、親が残した遺産で豪華な大名屋敷のような自宅を建設している。実際に多くの人が来訪するが、客が落とす金は、出入りの業者がそのアガリを持って行っていき、家人が細々と打っている家業の商品の売上は落ちる一方である。来る客人は、貧相なおもてなしに呆れて、二度と来ない。

 商売をせず親戚・知人の人間が家の周りに住むように段取りをするのだが、実質的な扶養家族が増えて持ち出しばかりである。店子として知人が住めば、その家の子供のための学校や保育園の費用も見てあげねばならぬ。盆暮れの費用もいる。商売の邪魔にもなり、家業の足を引っ張る。その家のトイレをみれば、その家の稼ぎがわかる。出すべき金をケチったので、少し雨が降ると家の前の道が水没である。

 今必要なのは商家として稼ぐ手段の再構築であり、投資であり、将来の学力の向上のための勉強への投資である。それは人手がかかり面倒なので、全くやらない。まず店主に周りを説得する手腕が無い。口癖で「子育て日本一」というが、実質的に、他の家と教育に掛けるお金は変わらない。他の家はもっと教育にお金を出している。「子育て日本一」は口先だけの見栄で、針小棒大で自慢しているだけである。その家のトイレは日本一汚いという。

 

大名屋敷は、大垣新市庁舎。

ドラ息子    大垣市長

店子      商店街の店主、大垣市民

稼ぐ手段の再構築  道路整備、治水、人への投資、駐車場整備

扶養家族    駅前のマンション住民

家業      地元の商店街 

出入りの業者  元気ハツラツ市等での県外の露天商

祭り      元気ハツラツ市

トイレの掃除  大垣市の公共のトイレ

家の前の道   室村町アンダーパス、林町アンダーパス

説得する手腕  行政手腕

 

日本の痴呆都市行政の典型と退廃

 これは大垣市だけの問題ではない。日本中の地方都市が抱える問題である。日本の地方都市の行政は、すべて国と市民の税金を無駄使いして、生産性に寄与しない見栄えだけのハコモノ施設を作るばかりである。大垣市の例では、駅前の公園、駅前マンション建設、駅前の子供施設、街路樹の整備、ハコモノ施設、である。その一方で、経済の血路である道路建設、治水、教育は放置である。

 節約と称して、道路や治水、鉄道といった、日本が稼ぐためのインフラに投資をしない。それこそが、日本が衰退した原因である。東南アジアの諸国は、稼ぐためのインフラに投資をして成長している。それは道路、鉄道、空港、港施設である。日本だけが、国土のインフラに投資を止めて経済が停滞している。生産性向上のために投資をしない日本が没落するのは、故あること。大垣市の痴呆行政は、日本中の地方都市のダメなひな形である。これは大垣市だけの問題ではない。市民・国民が目覚めないと日本も大垣市も没落の一途である。

 賛否はあるが、田中角栄元首相が提案した「日本列島改造論」には夢があった。当時は未来への投資をしていたので、日本には活気と成長があった。現在は、節約、投資縮小、稼げない見栄だけのハコモノ建設では、大垣も日本も再生できるわけがない。

 

2018-01-05

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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