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2017年11月20日 (月)

大垣市トイレが汚いのは、市長のケチが原因

解決策

 トイレ掃除の頻度を2倍4倍に上げて、掃除に係る費用を増額すれば、すぐにトイレは綺麗になる。その掃除の経費を節約と称してケチるから、「大垣のトイレの汚さは日本一」と大垣の恥をさらす結果となる。この問題は市長の鶴の一声で解決する。

 

事象

 2017年11月18日、19日と大垣観光協会主催「芭蕉元禄大垣 楽市・楽座 まるごとバザール」が開催されたが、今回は、いまだかってほど汚いトイレの状態に遭遇した。新大橋の公共トイレが汚れていて、それが一日中放置された。私はトイレを使用するのに躊躇して、大垣城内のトイレを使った。そこもいつになく汚かったが、新大橋の公共トイレよりはましであった。夜になってやっと掃除をしたようだ。

 「芭蕉元禄大垣 楽市・楽座 まるごとバザール」で人出が多く、平常より数倍の人が利用するのだから、それに対応した掃除体制が必要である。それを大垣市役所は節約精神旺盛で、監督する人件費もケチり、管理監督不行き届き丸出しで放置したようだ。市内の百貨店のトイレは、日に4回の掃除をするという。大規模小売店やスーパーマーケットでは、掃除部隊が別室で待機していて、要請があればすぐに掃除をするという。それがジャパンスタンダードである。大垣市役所は、発展途上国並みの対応である。

 図1,2 2017年11月18日 新大橋公共トイレ

   図3   2017年11月18日 大垣城内トイレ

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汚い原因

 大垣市役所が、トイレ掃除の経費を節約と称してケチっているから。大垣市長がそれを黙認しているから。

 

5Sの定義

 5Sとは、整理・整頓・清掃・清潔・躾である。その清掃が出来なければ、経営者としては失格である。掃除は義務ではなく、仕事の一環としての責務である。それが企業経営の生産性向上の基本である。それを放棄するのは、仕事の放棄である。業績の良い企業はトイレもきれいである。汚いトイレに象徴されるように、大垣市は没落の一途である。トイレが汚れているのは大垣市長と大垣市役所の職員の心が汚れているからだ。汚れていても何にも感じない感性となっている。それが問題である。それでは癒着やなれ合いが横行して、ドローン墜落人身事故が起きても、誰も責任を感じて動かない体制となっている。責任どころか、業者に責任の押し付け合いである。今のトイレの汚い状態が、大垣市長と大垣市行政の全てを表している。

 

ケチとは

 ケチとは「計値」と書き、二つの選択肢を値踏みして、どちらを選ぶかを決める行為において、その価値が分からず、金勘定だけに目が眩み、大事でない方を選択する吝嗇行為である。掃除は値踏み(計値)をする事項ではない。人間の尊厳に関する事項である。大垣市長と大垣市役所は、ケチに徹して「清潔」という人間性の尊厳を捨てたのだ。動物に近いほど、清掃はないし、清潔感はない。発展途上国のトイレは綺麗ではない。トイレの清潔感で、文明度が分かる。大垣の文明度は地に落ちた。全ての責任は大垣市長である。大垣市長の鶴の一声で解決する問題である。それができないのだ。

 ケチとは己の狭い視野で値踏みをすること。ケチな人は目先に囚われて、短絡的・短期的な視野でしかものが見えないので、10年後に損をする判断をする。佛様の差配は人智を超える。回り道にお宝が埋まっている。佛様も元は人の子、陰徳を積めば佛様も恩義を感じて、10年後に利子をつけて倍返しの報恩をされる。

 ケチの究極の姿が、植民地獲得の侵略戦争、民族虐殺、利己主義、成果主義、グローバル経済主義である。一時的には儲かったように見えるが、結末は妬みの文化の氾濫、冨の偏在、格差の拡大、移民問題・テロ問題(植民地政策時代の落し前)、1%の人だけが富み、99%が不幸になる社会への転落である。

 人は、ものが見えているようで、実際はその本質の10%しか見えていない。残りの90%は人智を超えたベールに覆われている。人は狭い視野でものを見て、全て分かったと自己満足の値踏みをしている。それがケチの根性である。

 

経営者コンサルタントの目

 私が会社訪問して必ず見る場所がトイレである。トイレを見れば、その会社のレベルが分かる。イエローハットの創業者は、トイレ掃除で会社を大きくした。私が勤めていた会社の「本社工場とそのトイレは汚かった」と知人のIT関係の社長から指摘を受けた。その会社も吸収合併されて消えた。故あること。

 

上野公園の野外トイレ

 2017年10月26日、上野の運慶展に出かけたが、上野公園の屋外トイレを見て驚嘆した。上野公園は大垣のイベント時より遥かの多くに人出であるが、トイレが格段にきれいなのだ。日に何回も掃除をしているようだ。それがジャパンスタンダードである。大垣は発展途上国スタンダードである。情けない。

 

我が家のトイレ

 2015年に自宅のリフォームの一環としてトイレを改装した。きれいで清潔なトイレは気持ちがいいし、その日の働く元気のもとである。

 図4 自宅トイレ

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人生は思った通りの人生となる

 人生では毎日が選択・決断の連続である。その選択・決断で、毎日10ある選択肢のうちから一つの選択肢を選ぶのだが、その選択では自分が未来に思い描いた夢が実現できる可能性が少しでも高い選択肢を、自然と選ぶもの。その毎日の少しずつの選択の積み重ねが、自分の人生を創る。それが10年、20年も連続するといつの間にか、自分の夢が実現されているのが人生である。

 家庭料理でも奥さんが作った手料理で、それに手を付けるか付けないかを奥さんが見ていて、夫があまり手を出さない料理は作らなくなる。段々と夫好みの料理ばかりとなる。それと人生はよく似ている。

 大垣市のトップが節約と称して、金をケチるから、ヒラメの役人はそれを見て自身の保身としても人間の尊厳にかかわるトイレ掃除の金までもをケチるようになる。ヒラメの下々は、己の出世と自身の保身のため、市長と同じ考えを踏襲しようとする。市長の思いが部下に伝わり、市の費用の全てに金をケチるようになる。人生は、また市の行政は、自分や市長の思った通りの人生、市政になる。すべてはトップの考え方が表れる。人生経営のトップは自分である。市の経営のトップは市長である。

 

人生の賞味期限

 どんなものにも賞味期限がある。トイレの掃除も賞味期限がある。それが切れる前に掃除をしないと、汚れが見立ち汚くなる。大垣市役所はトイレ掃除の賞味期限以上にトイレ掃除をしない予算を組むから、汚いのだ。その金をケチるから、問題が起きてくる。単に掃除の間隔を適正にするだけある。それを節約と称してケチるから、恥をさらす。

 現在の大垣市長は、市長の賞味期限以上に5期も居座るから、賞味期限が切れた市政が横行し、癒着、なれ合い、腐敗、問題が多発する行政になる恐れがあるのだ。掃除・交代・任期の期限が来たら、掃除をする、取り換える、交代する、身を引くのが人生の要訣である。人生は何時までも続くわけではない。その見極めをしないから、疲れで大事な神事で居眠りをしているような姿を曝す結果となる。東芝の衰退も、老体の耄碌経営者が居座ったのが原因である。大垣市が滅亡しないために、手を打たねばなるまい。

 

2017-11-20

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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