運慶と明慶の佛様に教えられる(2/2)
「運慶様は神様です」?
日本の佛像彫刻界には運慶をネタにしてメシを食べている人たちがいる。その人たちにとって「運慶様は神様です」である。だから、絶対に批判、悪口は言わない。その人たちが解説する運慶評には、「運慶佛は国宝の佛像だ」との色眼鏡があり、「運慶様は神様です」との固定観念があるので、それを打破して素直な目で運慶佛を見ないと、真の運慶像は見えてこない。
佛像造りの素人の私から見て、今回の運慶展で見た運慶作の佛像の造形で、ダイヤ、衣、邪鬼、手相、足元、の造りに、違和感を覚えた。
ダイヤさん
ダイヤとは台屋さんのことで、佛像を支える台の模様を彫る佛師である。当時の佛師の集団の中で、台だけを作る専門家がいたかどうかは定かでない。多分、鎌倉時代は、運慶が佛像本体から光背、台までの全てを一人で作っていたと推定される。一人で佛像の全てを彫るのは大変である。今は佛像造りの工房として、各部品が分業で、佛像造りが行われ、台屋さんという佛師が佛像を載せる台を製作している。その彫り方は精緻を極める。現代のダイヤさんの作品と比べると、運慶作の台の彫りが荒いと感じてしまう。
私も、30年ほど前に、佛像彫刻の通信教育を申し込み、その教材を入手して取り組んだことがある。その最初の課題が、台に彫る模様彫りであった。その後、本業が忙しくなり、佛像彫刻どころではなくなってしまった。また素人が手に負えるものではないことも悟り、佛像は買うものと納得した。
邪鬼の意味づけ
四天王に踏みつけられている運慶作の邪鬼の造りがあまりの貧相なのである。高野山に納佛された松本明慶大佛師作の邪気と比べると、邪気の位置づけとその解釈の差とその出来栄えが違うのである。運慶作の邪気の貧相さは、運慶の解説者は誰も口を閉ざして言わない。言えばその業界から「殺される」とのうわさもあるとか。「運慶様は神様です」が業界の掟であるそうだ。そういった事例は、世には多いもの。そういう洗脳教育を受けていては、芸術品を見る眼が養えまい。運慶展の入場者数は10月24日には20万人、11月14日に40万人を超えたそうで、それから推定すると11月26日の最終日には、50万人を超えると推定される。多くの人は、「運慶様は神様です」という洗脳教育をされて展覧会を見学していると言っても良いだろう。
その四天王に踏む付けられている邪鬼を、松本明慶師は四天王を支える脇役に昇格させた。邪鬼は誰でもない、己の心の中に住む鬼である。劣等感、妬み心、怒りの心の象徴である。それを抑えて人生の晴れ舞台に立つのが人間である。その前に、己が脇役として主役を下から支える。立派な役である。それを松本明慶師は、高野山に納佛された四天王・広目天と増長天を支える邪鬼に表現した。岩田明彩師の描く邪鬼の眼は輝いている。運慶の時代に生まれた邪鬼の像と隔絶の差である。
手相
運慶作の阿弥陀佛の手相を見て、考えてしまった。その手相に運命戦が無かったのだ。運命線がない人とは、そういう運命とか宿命に無頓着であると手相学ではいう。それに対して明慶師が制作した佛像では、運命線が真っ直ぐに伸びている手相で表現されている。手相までを研究して、佛像を作る松本明慶師のこだわりである。
私も若い頃の一時期、落ち込んで運命学、人相、手相に凝ったことがある。その時に学んだ知識である。それの知識での見解である。
目の視線
運慶作の佛像で、目の視線の先が異様な作品がある。その視線では武の佛像として佛敵に対して、構えがおかしいと感じてしまった。
源頼朝用の佛像造りのレベル
運慶は鎌倉武士の代表・源頼朝より佛像造りを依頼され、多くの佛像を納佛している。その佛像のレベルが、奈良のお寺から依頼された佛像のレベルと差があるのである。運慶は、所詮、戦いには長けても佛像関係には教養の薄い武士に対して、すこし低いレベルの細工で対応したようだ。それが四天王像等の戦う佛像造りに現れている。少し荒い細工の彫刻が目に付く。
足元の造形
運慶の佛像の足元の表現がのっぺらぼうなのだ。運慶の子の康弁作の天燈鬼立像と龍燈鬼立像の鬼の足は、血管と筋肉の盛り上がりが生々しく表現されている。それと比較すると、どうしても運慶作の佛像の足元の造形が見すぼらしいのだ。それが時代と伝統の進化なのだろう。佛像の足元には、靴を履いている佛像もあるが、その靴の表面の彫刻が簡単なのである。
彩色塗装
四天王の造形は素晴らしいが、当時の色彩をそのままにしてあるので、かえって塗装が剥げた部分が顔の造形を異様な姿に映している。全て取ってしまった方が、造形の美が映えて、見栄えはすると思う。家の障子や寺院の柱の朱でも、時代が代われば塗りなおすもの。そのままにして展示がよいのか疑問に思う。
佛像の衣の表現
童子の佛像の手が衣を握りしめて、その先が絞られた状態の表現で、少し不自然で違和感のある造形を発見した。まだまだ運慶の技術が成熟途中の作品と観察をした。運慶は天才かもしれないが、全ての作品が完璧な作品ではあるまい。天才ピカソも、生涯に7万点ほどの油絵を残しているが、傑作も多いが駄作も多い。どんな天才でも、作る作品が全て傑作というわけではない。それを踏まえて観察しないと、全てに絶賛のヨイショの鑑識眼ゼロの目になってしまう。
情報という付加価値
運慶の佛像は古典としての存在価値がある。あの鎌倉時代に、新しい付加価値を佛像に創造したことにある。それを今と同じ価値観で見ると違和感を覚える。あくあまでも古典としての佛像である。文明が進化するように、佛像も時代の技術進歩にあわせて、進化する。
昔の情報網から得られた知識で佛像を創造するのと、世界の彫刻美術の情報と加工技術の粋を研究した佛像彫刻品のレベルが同じであるはずがない。佛像を見る眼、作る技術は進化している。運慶作の佛像は、あくまで800年前の鎌倉時代での佛像造りの傑作である。その価値と現在の評価価値は同じではない。また佛像を作る佛師の心の問題は別問題である。
図1 松本明慶師作の佛台
図2 松本明慶師作の邪鬼(高野山納佛) 2014年10月8日撮影
図3 松本明慶師作の邪鬼と四天王の足元(高野山納佛)
松本工房にて 2014年10月8日撮影
2017-11-22
久志能幾研究所 小田泰仙 e-mail : yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp
HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。
コメント