運命のページをめくる佛
楽譜のページをめくる人
演奏会を回すのは主役の演奏家だけではない。裏方の黒子が支援してくれてこそ、上手くいく。聴衆の目に入っていて、気がつかないのが、演奏者の横にいてピアノの譜面をめくる人の存在である。彼女は黒子に徹して、目立たないが、緊張で震えている。演奏を熟知していて、間合いを測って絶妙のタイミングでページをめくらねばならない。めくる前に、次にページの端を少しめくって、一気にめくる準備をしている。緊張の一瞬である。しかし、師のそばで緊張ある演奏の場を共有できることは、何事にも代えがたい学びの場でもある。弟子として幸せだと思う。担当するには、高度な技量も必要とされる。
ページをめくる人の一番重要な要素は、演奏者と深い信頼関係のある人でなければならないことだ。嫌なオーラが出る人が後ろにいては、ピアニストは演奏に集中できない。だれでも担当できるわけではない。演奏者とページをめくる人は、厚い信頼関係で結ばれた共演者なのだ。
演奏会後のサイン会会場で、ティム親子と彼女の記念撮影をした。彼女の顔は、緊張で顔がこわばっていた舞台上とは、別人のような素敵な笑顔で印象的であった。お役目ご苦労様でした。
人生のページをめくる親
親は子供が学校に上がる時期が来ると、黙ってランドセルを買ってくれる。遠足がある日が近づくと、遠足のお弁当や服装を準備してくれる。黙って大学の入学金、授業料を払ってくれた親。人生のページがめくられる度に、黙って準備をしてくれる存在が両親である。当時は甘えて当たり前と思っていたが、TIMMコンサートで河村義子先生の後ろでページをめくる彼女を見ていて、両親を思い出した。今にして遅まきながら、改めて両親に感謝の念が湧いてきた。当時の貧しい給与で自分に贅沢をさせてくれた。感謝しても限りがないが、気が付いた時は、両親はこの世にいない。世の中で、黒子に徹して貢献することがあるはずだと思い、精進をしている。合掌。
佛がめくる運命のページ
この世は一期一会。楽しかった恋の日も、家族団らんの日も、過ぎ去ったページは二度と見ることはできない。運命のページは自ずとめくられていき、恋した日に戻りたいと思っても、ページを抑えた指の下には、既に死を迎えたページがあるかも……。 毎日を今日が最期の日と思い、一生懸命に生きたい。一日一生。
図1~5 TIMMコンサートのリハーサルで
大垣市音楽堂 2017年9月29日
図6 「人生という本」馬場恵峰師書 2012年
師にお願いして揮毫していただいたら、金の色紙に書かれていて感激した。
図7 「人生という本は最高の本である」馬場恵峰師書 2016年
色紙の言葉を、軸に揮毫していただいた。
2017-10-04
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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