« 身の危険を感じた | メイン | 人間の能力の磨き »

2017年10月 7日 (土)

墓面の揮毫 1/4

 昭和38年(1963年)建立の自家のお墓が風雪で痛んできたのと、祖母の出の家のお墓を守っていた叔母がなくなりその家が絶えたこと、またお寺の過去帳から1734年没のご先祖のことが発見されたご縁もあって、お墓を改建する決断をした。当時の自家のお墓の墓面の字は、石屋さんお抱えの書家が揮毫していた。しかし今は殆どがパソコン文字での書体で墓石に彫るという。馬場恵峰先生が、碑文の揮毫をされていることを思い出し、恵峰先生に改建する墓面の揮毫をしていただくことを思いついた。恵峰先生に問い合わせて、快諾頂いた。恵峰先生に墓石の字を揮毫して頂くため、2015年8月24日、自宅を朝4時45分に出て、中部国際空港7時35分発のANA371で長崎に飛んだ。

 

碑文の揮毫

 碑文の字は、普通の書家は嫌がってなかなかというか、絶対に書かないという。碑文の字体は芸術の崩した字ではないので、流行の書家では書けない。なにせ碑文は100年も200年も後世に残るので、並みの書家の手に負えるものではない。そんな状況で、恵峰先生の揮毫をしていただけることになったのは、ありがたいことである。

 恵峰先生は、全て表装済みの軸に直接ささっと揮毫をされるので、小1時間くらいでササッと書かれるものと思っていたら、想像を絶する手間と時間をかけて、揮毫をされた。実際の揮毫では、非常に慎重に筆を運ばれたのには新鮮な驚きであった。まず下書きで感触をつかみ、全体のバランスをみて清書である。結局、1日がかりの仕事となってしまった。

 碑文の字は、上の方の字は大きく書く。碑を仰ぎ見たとき、遠近法の関係で、上の字が小さく見えるので、上の字は大きく書かないとバランスが悪いのである。65歳にして初めて知ったことであった。考えてみれば、当たり前のこと。当たり前も実際に体験しないと、理解できない。それが格物致知である。

 

再揮毫

 「黄鶴北尾道仙」と「小田家菩提」の2枚の書を完成させてから、先生と大村市街の食事に出かけ四方山話をした。教室に戻ってから先生は仕事を始められたが、何故か急に、「『小田家菩提』の字体を変えてもう一枚書きましょう」という話になった。ありがたいことで、追加で書いて頂いた行書体でお墓の字を彫ることになった。

 「小」という字は難しい字体である。画数が少ない字はバランスが難しい。小さいという「小」を小さく書くと、バランスの悪い書となる。自分の姓名なのだが、未だに「小田」というサインが満足して書けない。「小田」という字は難しいと先生も言われるので、納得していた。今回、行書で書いていただいて品のあるバランスの取れた書となって、先生に書いて頂だけた幸せを感じた。これも恵峰先生とのご縁があればこそ。

 

神仏のご加護

 8月24日の揮毫の計画は1ヶ月前に決めて、飛行機の予約をしたのだが、当日になって、台風15号が九州に接近することが分かって少し慌てた。危惧どおり、翌日の25日は飛行機が欠航である。当日の8月24日の沖縄行きの便は欠航であった。8月24日の夜は台風の影響で、帰路の飛行機は1時間半も遅れて出発して、結局、自宅に到着したのは、午前0時15分ごろであった。それでも当日に無事帰宅を出来たのは、神仏ご先祖様のご加護をじんわりと感じて感謝をした。1日、行く日がずれておれば、当日の帰宅が出来なかったし、当日、長崎にも行けなかったかも知れない。そうなると、翌日の8月25日にご縁のある丸順の今川順夫最高顧問との面会が叶わなかった。

 

図1~3 慎重に筆を進める馬場恵峰先生 

図4 帰路のANA便

1dsc02298

2dsc02312

3dsc02316

4dsc02319

コメント

コメントを投稿