地蔵尊の御心
105年間、地区の住民を見守り続けた室村四丁目地蔵菩薩尊は、現在、お役目を終えて来振寺(岐阜県揖斐郡大野町)で休まれてみえる。お寺の山側の場所に仮安置されている。2016年5月2日、確認のため来振寺を訪問したが、入山禁止で鍵がかかって再会が適わなかった。不良業者が夜間に古い墓石等を不法投棄するので、その防止のためである。
未練を残さず時間が来たら去る、それがこの世の掟。一度お別れをすると、この世では再会が適わない。昨日の自分には、もう二度と会えない。一期一会、今を大事にすべしと心を新たにした。
歴史の証人
その行動が正しいかどうか、実行する前に考えたいもの。取り返しの付かないことを善意で安易にやることはないかと。105年間、風雪に耐えた地蔵尊像は歴史の証人の文化歴史遺産として保存すべきであったと思う。植民地強奪戦争の嵐の中、有色人種の日本人を人間と認めていなかった米国が、日本にした非道の証を示す証人であったと思う。米国が日本を無差別殺戮で苦しめているのを、地蔵尊はじっと見守っていた。焼夷弾の炎にも耐えて住民を見守っていた。今も続く占領政策の一環の政教分離は、日本の国力を削ぐためである。その米国は、大統領の就任宣誓式で聖書に手を置き、「神に誓って」と宗教色丸出しで宣誓をする有様である。政教分離などあったものではない。中国が靖国神社でクレームをつけるのは、日本の一致団結したときの強さを恐れてのこと。政教分離政策のため、お地蔵様を町内の公園に移設する案もままならなかった。
地蔵尊をクレーンで持ち上げたときに、崩れるかと危惧したがまだまだ丈夫であった。しかしその時は遅かった。この地蔵尊改建計画は、自治会の役員会と寄贈元で決まったこと。役員でも班長でもない人達には相談もなく、全て決定してから回覧連絡があった。その時では動く力のない自分を情けなく思った。それはもっと力を蓄えよとの佛様からのメッセージであろう。それも佛の差配した佛縁である。遺族の方の意向とは違い、お地蔵様はこの地に残り皆さんを見守り続けたかったはずだと思う。
政教分離政策の弊害
歴史を顧みないと、国が滅びる。室村町4丁目でも、自治会として地蔵盆をやらない時代が長く続いた。地蔵盆は宗教の問題ではない。子供達の健やかな健康を願う地域の願いの場である。1300年間も続く歴史行事である。その行事を中断していた時代を情けなく思う。占領政策の洗脳教育で、日本の強さの源泉たる神道を薄める政教分離政策が進められた。それだけ米国は強い日本の復活を恐れていた。個人主義が偏向して教えられて、欧米の利己主義、個人主義が氾濫する日本にされてしまった。その影響で写真を撮れば「家が写真に入るのでやめろ」とか地蔵盆のお下がりを投げ返すような輩が生まれる世相である。
己を律するもの
個人主義とは義務を果たした上で、相手の人格を認め、社会のルールの中で個人の権利を主張することである。日本では権利ばかり主張して、社会のルールを無視して、義務を放棄している輩が跋扈している。最近も(2017年9月)、民進党の東大出の山尾議員が、社会の最低限の道徳・規範を守れないノラネコのように、ギャーギャーと下品なわめき声で、首相の揚げ足を取って悦に入っていた。人を見る眼のない前原党首が、その輩を幹事長に抜擢しようとした。今回の騒動で、前原党首に人を見る眼の無いことが露見したのは良いことだ。東大出とは記憶力という知識が優れているだけで、その知恵は経験ある賢人に劣る。それが今回の検事出身のプリンセスが、フリンセツであることが露見した。フリンセツが知識と口は達者であるが、知恵と道徳のないこと明らかになったのは喜ばしい。今の子供を駄目にしているのは、そういう親や輩である。我儘で強欲な人間を律するものが宗教である。そういう輩は、それに目をむけないので、対処不能である。己を律するのは、自分の信ずる宗教であり、ご先祖である。
彼女の顔は不思議な顔をしている。人相学的に、今後、じっくり研究していきたいと思う。貴重なサンプルである。
2017-09-10
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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