来振寺の供養の森
地蔵尊の永住の地
105年間、室村町を見守られた室村町四丁目地蔵菩薩像は、来振寺の供養の森に安置される予定である。現在、来振寺の南側300mにある2万平米の山地を、供養の森として整備中で、平成30年春に完成とのこと。ここにご精魂が抜かれた地蔵菩薩尊や無縁佛の供養塔を建てる計画が進んでいる。この土地は先の濃尾大震災でもびくともしなかった硬い岩盤のため、供養の安住の地として最適である。岩盤が固いので、その分、開発も大変だとのこと。
来振寺(岐阜県揖斐郡大野町)は霊亀元年(715)行基の創建と伝える揖斐郡内最古の名刹で、始めは法相宗で新福寺と呼ばれた。神亀2年(725)の夏、この地に黄金色の雪が降り、その瑞祥を伝え聞いた聖武天皇の命により、来振寺と改称し勅願寺に列せられたと伝えられている。七堂伽藍十二坊を建立し、後に真言宗に改宗した。
鎌倉時代以降隆盛を極め、僧兵二百数十名を擁していたが、享禄3年(1530)6月3日の根尾川の大洪水で寺領の田畑を流失し、さらに永禄3年(1560)には、織田信長の兵火により伽藍・僧坊など全が焼失し、寺は頽朽した。
その後、慶長・元和年間(1596から1623)、豊臣・徳川両氏の朱印状を受け、領地を与えられたことにより再興した。
現在は、西美濃三十三霊場第二番札所と美濃新四国第五十五番札所となっている。
国宝の五大尊像のほか、薬師如来画像・十一面観音立像・大般若経・掛仏・駕籠など、県・町の指定文化財を多く有している。2月第1日曜日に行われる「節分星まつり」(町無形民俗文化財)は有名。
(大野町HPより)(http://www.town-ono.jp/0000000474.html)
図1 来振寺の看板
図2 来振寺の入り口
図3 来振寺の山門
図4 来振寺の山門
図5 来振寺 観音堂
図6 整備中の供養の森 2016年5月2日撮影
2017-09-12
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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