72年目の佛の目
広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」は、2003年から米首都近郊のダレス国際空港脇にあるスミソニアン航空宇宙博物館の関連施設に、ピカピカの状態で展示されている。反核運動で知られるアメリカン大のカズニック教授は、共同通信に「20万人の命を奪った飛行機を展示する厚かましい国が他にあるか。抗議のため開館時に一緒に訪れた被爆者の落胆が忘れられない」と語った。長崎に原爆を投下したB29「ボックスカー」は、中西部オハイオ州の博物館で展示されている。(産経ニュース2016-05-22より)
戦後の歴史
戦後72年が経って当事者が殆ど没したにも関わらず、米国ではいまだ白人優位、植民地拡大主義を封じ込めていない。太平洋戦争という歴史の結果に反省がない。トルーマン大統領が、言い訳の為に作った「原爆が戦争終結を早め、米国人を救った」のプロパガンダに米国民は洗脳されたままになっている。多くの女性子供を含め21万人以上を殺した罪の大きさを考えると、戦争責任など考えたくもないのだ。日本の戦争責任がいまだ言われるが、誰が戦争をせざるを得ない状況に追い込んだのか。「こんな私に誰がした?」。戦争になった結果があれば、その原因がある。結果の責任ばかりに話が行き、その真因の責任には誰も言及しない。トヨタ生産方式の「なぜ戦争になった? 何故、何故を5回繰り返す」べきなのだ。それがないから、戦後も世界で紛争が絶えない。真因を突き止め再発防止をしないから、今も巨悪が生き延びて生き血を吸い跋扈している。
江戸末期、明治時代には、アジアで日本とタイ以外の国が、欧米の植民地にされ、それが戦後解放された事には、マスコミは口を閉ざす。当時の欧米列強も、植民地の犯罪に口を閉ざし、責任を認めない。アジア諸国が平和に暮らしていたのに、列強諸国が強盗のように乗り込んで、植民地にして民衆から搾取をした。英国がインドの植民地統治で、現地人を2,000万人も餓死させた。米国は、植民地のフィリピンで61万人を虐殺した。だれが責任を取ったのか。戦勝国だから、自国民もマスコミも追及しない。
ドイツ国民が、ユダヤ人にしたホロコースト犯罪をすべてナチスに押し付けて、反省をしないのに似ている。だれがナチス党に選挙で票を入れたのか、ドイツの誰もが口をつぐんでいる。それを、日本を責めることで、自国に火の粉が舞わないようにしている。攻撃は最大の防御である。ドイツは日本の経済での競争相手としての躍進に面白くなく、反目しているのが見え見えである。
現在の中共の民族虐殺のことに目をつぶり、過去の植民地政策の責任にも背を向け、金儲けのためAIBBに駆け参じる欧州列強の姿が現実である。
米国、ドイツ等の欧米社会を見ていると、この72年間で全く、人として進化をしていない。あくまで金もうけが先行して政治が動いている。白人以外は人ではないとの考えが、戦前と変わっていない。中国では共産党員以外は人ではない。結果が、貧富の差の拡大である。
世界最大の覇権国となった米国は、産軍複合体の維持のため、10年に1度は戦争をしなければならない体質となっている。兵器の在庫処分のためである。戦後、米国は、自作自演のトンキン湾事件を機に宣戦布告もせずベトナム戦争に突入する。ありもしない大量殺戮兵器所有を理由として、フセイン政府に宣戦布告もなしに湾岸戦争を始め、フセインを絞首刑にした。その目的は中東の石油の利権確保であった。いくら探しても大量殺戮兵器は見つからなかった。フセインの独裁政治のため何とかバランスの取れていた中東情勢が、この破壊を機に混乱し、現在の中東のテロの横行をもたした状況となっている。
そんな傍若無人の米国の繁栄も100年を迎え、衰退の時期になったようだ。トランプ、クリントンの下劣な大統領選挙戦を見ると、米国の衰退を肌で感じる。国の繁栄も100年は続かない。それは墓石の寿命と同じである。スペイン・ポルトガル・オランダの世界征服を目指して船出した時代、日の沈まない大英国帝国の植民地拡大時代を経て、各国の繁栄はせいぜい100年であった。
近隣諸国がぐちゃぐちゃと難癖の言いがかりを吠えてくるが、なにが真実か、なにが正しいのか自分の頭で考えたい。世の中では、まともでない人ほど、声が大きく非常識である。世の中の事象の真偽判別は、単純明快である。泥棒行為をして、声が大きければ、その非常識がまかり通る世界に住んでいる鬼たちとは付き合い方を考えよう。竹島問題、尖閣諸島、シベリア強制抑留、北朝鮮の日本人拉致問題、知的財産横領、靖国参拝問題、…… 冷静に歴史を振り返りたい。
強欲主義の跋扈
仏教の思想では、自分の民族以外を民族抹殺、大量殺戮してでも目的達成という恐ろしい考えはない。ライオンでも満腹になれば、目の前のウサギも無視である。それに対して、白人の仮面を被った死鬼衆には、目的達成のための手段に限度がない。人の財産を総取りして、打ち負かした地の人間を皆殺しにするか、奴隷にする習性は、日本とは異質である。今のパナマ文書問題が象徴しているように、グローバル経済主義教は、欲望が人間の時間的、許容的な限度を天文学的に超えるまでに及ぶ。一人で何兆円もの金を隠してどうするのか。我々は、人類全体を何十回、何百回も皆殺しにできる核兵器を備えるまで行きついた。世界終焉の世界がまじかである。その元となる考えは、物欲からくる総取り思想である。
現代は、世界の強欲に迎合するマスコミが跋扈する。そのマスコミは、大資本に迎合しないと売り上げが伸びないので、偏向した報道に徹している。そんな思想に染まらないように、自分の頭で考えて、日本の精神文化を広めて、日本は世界に範を示すべきだ。
日本精神文化の責任
お釈迦様は2500年前、自分が生まれ育った国を他国に滅ぼされる憂き目を受けている。その際、お釈迦様は他国の軍を前にして3回、座って止めようとした。しかし、4回目は止めることをせず、他国に攻め滅ぼされた。お釈迦様は、武力に対して、武力ではなく対話と行動で止めようとした。今はその敵国は消滅したが、お釈迦様の思想は生き延びて輝いている。悟りを拓いた人は強い。無力な我々であるが、先祖から受け継いだ日本の非戦という精神文化を、後世に伝えるのが、我々の勤めである。
2017-08-16
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。
コメント