インプラント 30(逃げる)
3.30 三十六計逃げるにしかず
経営判断としてダメだと断定したら、速やかに撤退するのが鉄則である。織田信長は逃げ足の速いこと神風の如しであった。それができたからこそ、命を永らえ天下を統一できた。それを決断できなかった戦国の武将(国の経営者)は、国を失い、命のなくしている。松下幸之助翁はコンピュータ創成期に、大型コンピュータの市場から撤退をした。日立も富士通もその後、多くの企業が敗退した市場である。当時散々に非難されたが、後からは正しい決断であったと賞賛をされた。現代の経営者は、正しい撤退決断ができず、被害を増やし、赤字を増やしている例が多い。最近の日本には、中国からの撤退ができない経営者が多い。学習能力がないのか、金儲けに血迷っているのか。市場への参入や、企業の規模を大きくするのは容易である。しかし、撤退や規模の縮小には、難しさが伴う。それを決断できる経営者は少ない。
インプラント手術の危険性を認知し、手術2時間前にキャンセルして、早々に、死神が住むインプラント総本山から遁走した。逃げること脱兎の如し。決断が間違っていたかもしれないが、直前に決断した自分を自分が誉めてあげたい。
エピソード
関ヶ原の戦い(1600年)のとき、大垣城が石田三成の西軍本拠地であったため、徳川家康が率いる東軍に包囲された。その時大垣城内にいた石田三成の家来山田去暦の娘「おあむ」(当時16歳前後)が、落城寸前に、城の堀をたらいに乗って密かに大垣城を脱出して戦火を逃れた。その歴史伝承に由来する「たらい舟川下り」行事が、2003年から行われている。
この伝承にあやかり、自分もたらい舟に乗舟してその脱出の感触を体験した。去年は単なるもの珍しさで乗舟しただけであった。昨年は学生アルバイトが舟頭であったが、今年の舟頭さんは、朝日電気の取締役会長さん(75歳)であった。お宮の氏子代表や高校のOB会の総幹事も勤めてみえるとか、東京で執り行われた守屋多々志画伯(大垣出身の文化勲章受賞画家)の葬儀にも地元から参列した4人のうちの一人であるとの話しまで舟上でしていただき、ご縁の不思議さを感じた。将来、社会奉仕でたらい舟舟頭になるのも一興である。
図1 たらい舟川下り 2012年11月4日 09:16
図2 上の石垣は築城当時のままの大垣城の石垣
上の建物は大垣市役所
2017-08-13
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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