« 社是とテクニカルライティング | メイン | 正しい道を考えながら歩く »

2017年7月14日 (金)

奴隷にされたご先祖

 対談『中西輝政・古田博司「国家が試されるとき」』(Will 2016年7月号)を読んでいて、シベリア抑留とは奴隷制度に起因することに納得した。欧米・支那の狩猟民族にとって、打ち負かした敵国の兵士は皆殺しにするか、捕虜として本国に連れ帰り奴隷として働かせるのが2000年来のDNAであった。

 かの高橋是清元総理大臣でも、アメリカ留学時(1867年)に騙されて売られ、奴隷にされて働かされた。アメリカの奴隷解放宣言は1865年であるが、黄色人種の日本人には適用されなかったようだ。米国人は異教徒を奴隷にすることになんら罪の意識は感じない。米国の南北戦争当時、(しぶしぶ、大義名分として)奴隷解放宣言をしたリンカーンでさえも、当初は南部の現状では黒人奴隷の存在はやむを得ないが、その拡大には反対する、という程度であった。自由貿易主義全盛であったイギリスは、産業資本家が奴隷制賛成の南部を支持したため、英国政府もそれに動かされていた。それが欧米のDNAである。

父のシベリア抑留

 父も終戦後、シベリアに抑留されたが、生きて帰れたから今の私の命がある。父の弟は、終戦後の昭和21年にシベリアの土になった。従兄は父の顔も見ずに育った。今川順夫名誉会長もシベリア抑留を経験し、重労働の辛酸をなめて帰国して、シベリアでの地獄の体験が今日の成功に繋がっている。今川順夫名誉会長も新地蔵菩薩尊の開眼法要で、「室村町4丁目地蔵菩薩尊に守られたようだ」と回想しておられた。出征に出かけるとき、地蔵尊に無事を願い、昭和27年に生還できた今川氏は、地蔵菩薩尊に感謝をしたという。今川氏を出迎えた地蔵菩薩尊は、大垣空襲(昭和20年7月29日)で身代わりとして黒焦げの状態であった。しかし今川さんを見つめる目は優しかった。

非道なシベリア抑留で邦人10万人が帰らぬ人となったが、ソ連が罪を認めたことはない。それはソ連が歴史的に奴隷制度を抱えた民族だからだ。勝った国は敗戦国の民を奴隷にするのが当然なのだ。ソ連にとって奴隷の生死など知ったことではない。それが、狩猟民族の本質である。

現代の奴隷制度

 現代でも奴隷制度は生きている。オーストラリアの富豪、アンドリュー・フォレスト氏が設立したウォーク・フリー財団の調査による『Global Slavery Index』は、世界167ヶ国で4,580万人が奴隷状態であると指摘する。これには日本も含まれ、ブラック企業で働き自殺をした若者も含まれる。これもある種の奴隷である。100円ショップの商品の製造で、低賃金で強制的に働かされているチャイナの子供たちは、奴隷と同じである。まともな労働対価では、絶対に100円では100円ショップ製品は作れない。奴隷として働かされて、作られた製品には魂が籠っていないので、すぐに壊れる。100円ショップで商品を買うとは、奴隷制度の黙認だから、私は絶対に利用しない。

 仏英独等の欧州で働く移民たちは、絶対に白人社会と同じレベルにはなれない。下積みの階層で、観光客には目の届かない世界・時間帯で働かされている。パリの街で早朝に歩くと、有色人種の人(元植民地からの移民達)がゴミ回収、道路掃除等で働いているのを見る。しかし昼間の観光客が溢れる街にはそんな姿は皆無である。白人の夢みたいな生活を望んで欧州に移民しても、現実は元の国よりはましであるが、奴隷状態が待ち受ける。その蓄積された恨みが現在欧州で頻発するテロの横行である。いくら警備を厳重にしても、根本原因が解決されない限り欧州でのテロはなくならない。

 米国でも有色人種の貧困からの脱出は困難を極める。結果として奴隷と同じ境遇で働いている。白人社会と黒人社会には目に見えないガラスの壁がある。現代でも、米国は白人警察官が黒人青年を射殺しても、大して罪に問われない白人優位の世界である。

日本史で奴隷は存在しない

 日本の歴史では、敗戦国の民衆の皆殺しや、強奪してきて奴隷として働かせた史実はない。支配階級のトップ(殿様)が腹を切って、上層部が入れ替われば領土の民衆は平穏である。平和な政権交代である。欧米・支那では元支配者の血縁者や民衆までを皆殺しにするのが普通である。『十八史略』には、王族の一族郎党の抹殺、民衆の大量虐殺が横行等の歴史の記述があり、身の毛がよだつ。それに比べて、日本の平和な民族の血を誇りに思う。日本海の外には鬼が住むことを忘れてはなるまい。「男が外に出れば七人の敵がいると思え」とは、母の教えでした。国の外には7つの鬼国があると思うべし。

 

図1 室村町四丁目地蔵尊(2016年4月3日撮影)

   大垣空襲の焼夷弾で黒焦げになった跡が戦後70年経っても痛々しい。

   シベリアから生還した今川さんを優しい目で迎えてくれたという。

図2 大垣公園の恒久平和の碑 シベリア抑留戦没者慰霊碑

   裏面にダモイの会として父の名が刻まれている

図3 彦根護国神社のシベリア抑留戦没者慰霊碑   

   裏面に父の弟の名が刻まれている

 

2017-07-13

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

1039a2006

2dsc01448

3p1070131

コメント

コメントを投稿