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2017年7月 9日 (日)

耳を無くした佛は多聞天に出世できない

暴力メールの来襲

 ある経営者仲間から一方的に届く広報メールに煩わしさを覚えていた。この広報メールの冒頭に社長の一文がある。文面の表現は勇ましいが、打ち上げる花火のような空しさと謙虚さの欠如に嫌気が差した。メールで事務局宛に、「読むのが苦痛です。苛立ちも覚えます」と配信中止の依頼をした。自分の体の管理も疎かな人の大言壮語の戯言は読みたくも無い。多くの偉人の言葉を引用して激を飛ばしても、自分の言葉になっていないので空しい。まず感謝の心が伝わってこない。これでは社長メッセージを読むのが苦痛である。HPやブログと違い、広報メールは来れば読まねばならぬ。無為なメールは顧客の時間を奪う暴力である。(2015年1月20日)

現代の裸の王様イソップ物語

 それで、何か反応があるかなと内心期待をしていたら、全くの無反応で拍子抜けをした。社長の名刺には「いかなるクレームも社長の自宅に電話」とある。わざわざクレームの電話を社長にするなどは、電話する方が気苦労である。電話をする方だって、1秒1円のコストがかかっている。アホな社長に電話をするくらいなら、己の顧客の面倒を見る方がもっと大事である。上記の「社長の自宅に電話」こそが傲慢そのもの姿勢である。下々が己のために時間を割いて会社を良くしてくれる情報を上げてくれると思うのは驕りである。その驕りが社長の名刺に表れている。本来、声なき顧客の声を聴くのが広報の事務局である。広報の事務局は社長にこの件を報告しなかった。広報メールの受け取り拒否は、顧客からのクレームである。それを社長に報告しなかった事実は、社長が裸の王様になったことを示す。事務局は社長に言っても仕方がないと、社長の耳に入れるお役目を放棄した。事務局は高野山の中門に相当する。中門に立つ四天王として一翼を担う多聞天のお役目は、会社で言えば広報事務局、国で言えばCIAである。顧客からの声が届かないのは、知らぬは社長ばかりなりの裸の王様イソップ物語である。(2015年2月4日)

経営如来を目指して

 耳を無くした佛は、多聞天にはなれない。まず多聞天に出世しなければ、経営如来には昇格できない。多聞天とは佛界のCIA長官である。八百万の神が下す経営会議の決議が、己の病気である。それが大企業病の初期症状である。たった一通のメールの対応で、会社の経営診断が可能である。返事が無いという情報も、会社経営分析のためのデータである。情報の氾濫する現代社会の中で、情報なき情報を聴き、声を観るのが大事な第三の目である。己という60兆個の組織に向けられる声なき声を聴こう。身の回りの佛は、己の良きも悪きもお手本として人生劇場を演じてくれる。良き人生経営であるために心して観察しよう。人は山には躓かない。蟻塚につまずく。大言壮語する人が怪我をする。まず足元を固めることである。前のめりで焦っていては、声なき声も聴こえまい。現在も状況は変わっていない。相変わらず、無為なメールが届く。この会社にはブレーキがない。(2017年7月9日)

毘沙門天とは

 毘沙門天とは、別名「多聞天」とも呼ばれる。多聞天の名前の由来は、日に何度も法を聞くことから名付けられている。「法」とは「三水」の「水」が「去る」と書く。水が上から下に流れるのは、何時でも何処でも誰にでも当てはまる法則である。その行為がその自然界の法則に合っているか、それを自問すれば、時間節約の答えは自ずと見える。法に反した行いは経営損失の最たるの。人生の「法」程式を覚えよう。人生の受験勉強には、法程式を記憶するに限る。

多聞天を支えるもの

 毘沙門天の足元にいる邪鬼界の阿恵と吽形は、悪さの限りをしていたのだが、「そんな悪さをしていて、お前の3000万年後の人生(鬼生?)はどうなるのか。上の界(人間界)に生まれ変わりたくはないのか。今のままでは畜生界か地獄界へ落ちるしかないではないか」と仏のお諭しとお導きで改心して仏心を得た姿を象徴している。その姿の現れとして、毘沙門天の足元で、阿恵と吽形が足場として支えている。毘沙門天は本来、岩に上に鎮座されているものだが、阿恵と吽形が自分の背中を差し出して、毘沙門天に足場を提供している。

 毘沙門天を支えるこの群青と赤の阿恵と吽形は陰陽の世界も象徴している。どんなものでも裏と表、プラス・マイナス、良い点、悪い点があることの象徴でもある。目の前に現れる事象には、いい面も悪い面もあり、それを総合判断して法により判断しろとのメッセージでもある。人生の経営者にはそれを見極める能力が求められる。そのためには、法を学ばねばならない。

事象を総合判断してこそ経営者

 六界とは、天上界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界である。どんな人生でも、この六界がある。パチンコの人生でも、チンジャラと玉が出まくるのが天上界、玉が出んぞ!とパチンコ台のガラスを叩いて叫ぶのが修羅界、全てスッテしまってとぼとぼと家路につくのが畜生界、それが原因で家で恐妻と大喧嘩をするのが地獄界である。人の一生でも同じように、六界が入れ替わり立ち代わり表れる。大学に合格すれば天国で、左遷されれば地獄界である。地獄界でじっと修行をすれば天上界への道が拓ける。社長は、社員のために地獄界を天上界に変える責任がある。己が自分株式会社の経営者として、今の地獄界どう変えるかが問われる。そういう状況で、社長の貴方はどう戦ったのか? 社長には、やったことだけでなく、やらなかったことにも責任が問われる。

 

2017-07-09

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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