人生は千曲がりの山道(改定)
人生とは、千曲がりの山道を、頂上を目指して真っ直ぐに登るが如し。
高い山ほど、真っ直ぐな道はなく、千曲がりも万曲がりにも道中は紆余曲折である。その分だけ、大きな経験という財産が手に入る。時には下り坂のときもある、誰も見ていない谷道を一人歩くときもある。誰も見ていなくても、佛様が見ている、己が見ている、お天道様が見ている。己の歩いた軌跡から10年後にその因果が回ってくる。その時目指すのは頂上で、谷ではない。頂上が見えていなくてもいい。その方向が頂上であれば、曲がりながらもその方向に真っ直ぐに歩めばよい。
瀧の上に水現れて落ちにけり 後藤夜半(神戸の俳人 ホトトギス派)
瀧の水を人生に例え、瀧の上に水が現れては、上から落ちて瀧つぼに消えていく。人生のようにアッという間である。永い自然の時間の中では、人間が生まれて死ぬまでは、僅かな時間でしかない。瀧の水を見つめていると、人生を感じる。その瀧も四季の変化がある。自分の人生にも四季がある。それに合わせて生きないと自然の理に反する。冬になれば、必ず来る春に向けて、下へ下へと根を伸ばせ、である。
人生道千曲がりでのご縁
馬場恵峰師には2006年に出会い、箕面の滝道の途中に立地した館で、約7年間(途中2年休止)、毎月1回、人生道と書道の教えを受けた。2005年末、創業以来65年続いた企業が合併で消滅した。30年間、私を育ててくれた会社である。名目は対等合併であったが実質は吸収合併で、会社風土が下品な状況に侵食された。その後、逆縁の菩薩の日々が続き、合併により想定外の三河から奈良への転勤となり、恵峰先生とのご縁が生まれた。逆縁の菩薩に出会わなければ、出会えなかった師とのご縁である。新しいご縁は、縁ある会社の死から生まれた。奈良に転居して、新しい研修があることを知り、住まいから1時間の距離ならと受講を申し込んだ。三河からの転居がなければ、生まれなかったご縁である。ご縁も意図をもって出かけないと、手には入らない。この逆縁の菩薩の出会いがあったため、5年後の定年延長をせず、大垣の地で新しい人生を開くご縁を手に入れた。千曲がりの道でなければ、ご縁の出会いもなく学びもなく、真っ直ぐに冥土行きである。まるで新幹線で、途中の風光明媚なご縁をすっ飛ばしていくが如し。早く行ってもゆっくりと行っても、到着する場所は死で、同じである。
図1、2 箕面の瀧道 登るためには下らないといけない道もある
(箕面の瀧を目指し、この山道を早朝、月に1回、7年間歩いた 2006年~2012年)
図3 箕面の瀧 2011年3月27日
図4 箕面の瀧 2010年10月27日
2017-07-18
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