ピアノ騒音殺人事件 4/11
眼で聞き、耳で見る
二つの事象が接してこすれると、ミクロ的な現象として破断が起こり、必ず音が出る。これはトライボロジーの世界である。その音を耳からの目で聞くことができるか、心の耳で聞くことができるか、である。問題があれば必ず雑音が発生する。その「音」を心の目で「観る」能力が、人生では必要である。心して観れば心眼が開く。
「耳」という字の真ん中に、「目」がある。「目」の上下の線が両端に伸びている。それが上の人たちの声、目下の人たちの声を見なさいであり、「目」の下に伸びた線が、自分の心底から聞こえてくるご先祖様の「助言」の声を観なさい、という意味である。「助」とは「目」の「力」と書く。
問題がなければ、スムースな接触で音は観えない。ある決断をして問題が出れば時間ロスも甚だしい。それが自分の体の手術のことなら重大である。私はインプラント手術の検討をした際、その直前段階で多くの不協和音が聴こえて、手術の2時間前にキャンセルした。
「心の耳を澄まし、天のメッセージに聞き入ろう」安岡正篤師
心の耳を澄ますと、眉間にある心の第三の目が開き、この世の真実が見える。
己の後姿は見えない
己が行っている業が、どれだけ人に迷惑を掛け、恨みを買っているかは、己には見えないし、聞こえもしない。それを教えてくれるのは、耳に痛いことを言う周りの知人である。その知人は仏様の使者である。仏様の使者の啓示を無視してはいけない。それがこの事件の教訓である。私にはこの事件は、仏様が犯人を仏様の使者として、人間界に遣わし鉄槌を与えたとしか思えない。最大の被害者は、殺害された母子よりも、その夫であろう。殺された母子よりも、生きてこの苦しみを持ち続けるのは地獄である。地獄はあの世にはない。この世が地獄であるのを目の当たりにした。それは全て己が生み出したもの。己が犯行の遠因を作ったことを夫は理解していない。夫は「犯人を死刑に」と叫び続けた。それに対して社会では、犯人の助命を嘆願する会が発足する。犯人は控訴もせず死刑を望み、それが40年たっても実現しない。何が仏様のご意思か、この40年間の歴史が証明する。
この事件が日本の音楽界と社会に与えた衝撃は半端ではない。私も40年間、その呪縛の囚われてしまった。この事件が頭にあり、40年前はピアノからエレクトーンに選択変更し、40年後はピアノを導入するため防音工事と全室内窓付きペア硝子窓の防音リホームまで対策をした。費用も半端ではない。まるで仏様からのお導きである。殺されることを思えば安いもの。私にとって皆さんに音で迷惑を掛けないというのは、宗教の教義みたいなものになっている。
下図は今回施行した防音壁の構造である。左は標準の防音構造、右は特別版の防音構造である。本当は特別版にしたかったが、部屋の大きさが総合で1畳ほど減ってしまう。また自宅が一軒家で、隣家とも離れていることも考慮して、しぶしぶ標準の防音構造を選択した。それが私の分相応である。
図1 防音壁の構造 左図:標準 右図:特別版
2017-07-08
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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