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2017年7月13日 (木)

宝塚歌劇団 伝説の「ブスの25箇条」(改定)

 大志塾(大島修治塾長)が開催さ、宝塚歌劇団の元トップスター穂高ゆうさんが講話「宝塚で学んだこと」の中で、「ブスの25箇条」に感銘を受けた(2014年10月5日)。この紙が稽古場に貼ってあり、彼女は自戒をこめて毎日眺めていたという。これは「耳なし方一」(後日掲載予定)が見た幽霊と同じであると感じた。正に足を地につけず、人のことを「うらめしや」とぼやく幽霊がいる。幽霊とはブスであった。管理職・経営者・社長として、他社をうらやみ、成果が上がらないことを社員や社会のせいにする責任者がブスなのだ。

 「朗らかに、清く正しく美しく」は、穂高ゆうさんが宝塚ジェンヌの守るべき規範の言葉として解説された。枕詞「朗らかに」が大事な言葉である。どれだけ清く正しく美しくても、しかめっ面では幸運の女神は微笑まない。

 

「ブスの25箇条」

1.笑顔がない

2.お礼を言わない

3.おいしいと言わない

4.目が輝いていない

5.精気がない

6.いつも口がへの字の形をしている

7.自信がない

8.希望がない

9.自分がブスであることを知らない

  1. 声が小さくイジケている
  2. 自分が最も正しいと信じ込んでいる
  3. グチをこぼす
  4. 人をうらむ
  5. 責任転嫁がうまい
  6. いつも周囲が悪いと思っている
  7. 他人にシットする
  8. 他人につくさない
  9. 他人を信じない
  10. 謙虚さが無くゴウマンである
  11. 人のアドバイスや忠告を受け入れない
  12. なんでもないことにキズつく
  13. 悲観的に物事を考える
  14. 問題意識をもてない
  15. 存在自体が周囲を暗くする
  16. 人生において仕事において意欲がない

足が夢を語る

 宝塚歌劇団トップスターとして華やかな姿の裏には、血みどろの稽古、練習、訓練がある。それが6年間も宝塚歌劇団に在籍を維持した彼女の足の指先に閻魔帳として現れていた。私は彼女の話を最前列で拝聴したので、彼女の足元に目が行った。その足の指は曲がっていた。バレエの過酷な練習で、外反母趾になっていた。その足の指は、その戦いの勲章である。外反母趾とは、バレエの演じる人が罹る嗣母趾が付け根で、くの字状に外側に曲がってしまう疾患である。

 水鳥は水面下で必死に足を動かしているが、水面上は平静な姿である。塾生90名余を前にして、穏やかな微笑みを浮かべて講演をされる穂高さんの舞台人生の裏には、凄まじい戦いがあった。それを表に出さずに「朗らかに、清く正しく美しく」舞い、歌う人生には、厳しい修行があった。その歩んだ人生が足先に現れる。夢に向って戦う人生には、手や足のその戦いの跡が刻まれる。安穏な仕事からは、夢は実現しない。

 練習の「習」とは、白鳥の雛が羽根を広げて、親鳥の姿を見て羽ばたくまねをすることである。稽古には形がある。「稽」とは、「いきつく」の意味で、「尤」は手の一端をおさえとどめた形をかたどり、とがめるの意味である。禾偏は穀物を意味し、穀物の成長が行き着くところまで行って止まるから、とどまるの意味を表す。稽古とは古(いにいえ)の考えがとどまった究極の形を現す。

 その時、我説にこだわり、「なぜこの形の稽古をしなければならないか」と文句をいうのでは、成長できない。まず頭を真っ白にして、練習でその芸の形を体得し、それから理屈を考えればよい。「守破離」もその真髄の言葉である。

体で体得

 宝塚歌劇団の新人は、「廊下を歩くときは壁に手を添えるように歩け」と躾けられる。曲がる時も壁に沿って直角に曲がる。当初はその理由が教えてももらえず、ひたすら躾として守らされたという。かなり時間が経ってから、廊下の中央は、先輩やお客様が歩く場所であり、それを避けて歩くのが礼儀であると体得したという。「芸はまず体で覚えよ」との典型的な教えであった。

宝塚歌劇団は夢の伝教師

 宝塚歌劇団は5つの組からなり、総勢450名の会社組織である。各組が80名で構成され、その組は中小企業の組織と同じである。各組の異動は基本的に無く、その仲間の中から配役が決まり、トップスターや名脇役が生まれる。毎年新人が入ってきて、新陳代謝がある苛烈な競争社会である。上下の関係、先輩後輩同期と鉄の規律が守られ、夢の世界が創造されている。それが100年間も継続して、日本人に夢を与えてきた。宝塚歌劇団のスターは、その夢の伝教師なのだ。

後日談

 宝塚歌劇団のスター達やその卵は、いわば女の東大生で美女揃いである。その中で、ブスというのは可愛げがあり通用するが、ブスという言葉は差別用語ではないかと、知人からコメントを受けた。

「ぶす」とは不美人を軽蔑して言う時の、俗語に近い口頭語。「おかちめんこ」や「すべた」などと違い、差別的な意識を伴って現在でも比較的よく使われている。(『日本語語感の辞典』中村明著)

 たった一言で、人は舞い上がり、落ち込みもする。言葉を使うのは難しい。この場合の「ブス」は己への戒めの言葉として考えたい。

2017-07-13

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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