お金の意味
お金は単なる数値の羅列でしかない。独居老人が亡くなって、床下から数千万円の札束が出てきたという新聞記事を良く見かける。お金の真の意味を理解していない人は多い。お金は使ってこそ価値が出る。お金は知恵を得るための道具でしかない。情報を得るのに今はそんなに費用が掛からない。智慧は足と血の汗で作る結晶である。その道具を得るためが目的になると、働くことが、お金の奴隷となることになる。手段と目的を取り違えるから起こる間違いである。下手にお金を後進に残すと、財産争いが起こる。働く意味を理解できないと、10年後に子孫を醜い相続争いで不幸にすることになる。それはお金からの復讐である。
死ぬときに、預金通帳の残高が100万円多いか少ないかなどは、何も持たずあの世に旅立つ身には、煩わしい雑事である。人生では小さな問題である。
一番の理想は借金の踏み倒しである。私の夢見る状況である。踏み倒すには、足を動かし、血の汗をかいて、相応の信用を得なければ、誰も貸してくれない。踏み倒せる状況になるには、踏み倒す分以上は稼がなくてならない。それには知恵を使って働かねばならない。そうなれば踏み倒さなくても、お金の方が寄ってくる。自分の為でなく、世のための良いことに使うなら、踏み倒し前提で働けば、良いサイクルが回ってくると思う。
「人生で生きていくのに必要なのは、勇気とsome moneyである。」(チャップリンの言葉)
お金も人の子
人生で必要なのはお金ではなく、お金を稼ぐ能力と使う才覚である。両方が身に付けば、お金のほうから擦り寄ってくる。お金も人間が作り出した人の子である。お金にも魂があり、現金なものである。お金は経済状況が変われば消えてしまうことがある。しかし身につけたお金を稼ぐ能力は、どんな経済状況になっても消えない。その能力がお金に勝る財産である。
うら若き女性ファイナンシャルプランナーが、がぶり寄り
2010年、定年退職後、大垣に帰郷したら若い女性が大勢寄り付いてきて困ったことがあった。「是非、退職金の運用は当銀行にお任せください」である。都市銀行ファイナンシャルプランナーという名刺を差し出してである。そんな20代前半の若い女性の提案が信用できるはずがない。要は手数料稼ぎであり、上からのノルマである。銀行として顧客が損をしても知ったことではなく、手数料さえ入ればよいのである。そんなことは重々承知であったので、声を落として「お嬢さん、もっと儲かる投資先がありますが、知りたいですか?」。相手が乗り出してきたので、「銀行を信用せず、それは自分自身に投資すること」とうっちゃりをかました。
新円切替の被害体験からの知恵
母方の祖父は、銀行に預けた虎の子の退職金が、戦後の新円切替(1946年2月16日)で、紙くず同然となった惨めな体験をした。私の生まれる4年前のことである。母がその話を何回もしてくれた。その時期、母と結婚前の父は、シベリア抑留の身であったが、洋裁の才能という芸があったので生きて帰国できた。父は遊んでいてあまり勉強をしなかったし、家の生活が苦しく、洋裁店に丁稚奉公にだされて洋裁の腕を身につけた。そのお陰で、地獄のシベリアから生還できた。なにが幸いするか、佛様の采配は摩訶不思議である。
母は政府の金融システムを信用しない哲学を持っていた。祖父の新円切替の被害が念頭にあり、私が入社したころから、「(私の」退職時には、年金制度は崩壊しているはずで、年金はないものとして退職後の生活設計を今からせよ」と母から教えられた。それが今は年金分がプラスの取り分としてあるので、助かっている。だから、母は私の教育費には金の糸目は付けなった。贅沢品には金を使わなかったが、教育関係で欲しいと言って反対されたことはない。それでも普通のサラリーマン家庭で、内職までして苦労をしている両親を見ているので使う方も自制がある。両親から「勉強をしろ」とは、一度も言われたことがない。
道具としてのお金の使い方
お金は道具であるから、悪縁を切るための道具として使えばよい。札束で相手の頬をひっぱ叩いてやれば、道具としてのお金の価値が出る。それで自分の大事な時間を有効に活用できる体制がとれれば安いもの。それで相手が目を覚せば救いがあるのだが、縁なき衆生度し難し、で目を覚ましてくれないのが現実である。
仕事は「使命感」をもって取り組むもの。しかし、「使金感」をもって生きるとは言わない。言うのは「資金力」であり、お金が道具、手段であることは明白である。そのお金を人生の目的にするから、にわか成金が晩年を汚すのである。
お金も大事に扱ってあげて、心を込めて旅出せてあげれば、お金がお友達をつれて帰ってきてくれる。可愛い子(お金)には旅をさせよ、である。
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