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2017年6月18日 (日)

第二の人生は自力で離陸、力の限り飛べ

 青春の人生は、両親や友人、師の援助があって人生の離陸ができた。会社生活では、多くの仲間の支援で安定巡行飛行ができた。会社生活の長距離飛行の後、無事着陸(定年退職)ができた。それは定期航路のジェット旅客機に乗って目的地に向かって飛んでいたようなもの。

 定年後は自力で離陸して、自力でペダルを踏んで、力の限り西方浄土を目指して飛ばねばならぬ。頼れるエンジンは、自分の足だけである。その保全、体力維持は不可欠である。天候、風向きを見極め、体力を見極め、飛び立たねば、離陸さえできない。力尽きれば墜落だ。己の精進が飛行距離を決める。

 自力、自力といっても、陰で多くの仲間が援助をしてくれている。それがあって初めて飛んでいられる。そのご恩に報いるためにも、美しく優雅に長く飛び、その航跡を後進によき思い出として残したい。

 

 2003年、人力飛行機による日本飛行記録を樹立したチームエアロセプシーのリーダ鈴木正人さんとご縁ができ、その記録達成の過程を取材させてもらった。私も飛行機好きで、その人力飛行機の魅力に取りつかれ、一時期、チームエアロセプシーの飛行訓練の追っかけをした。人力飛行機の開発物語は、仕事と人生に重なりあうものがある。

 

 

図1 離陸には細心のチェックが欠かせない。2004年5月29日

        チェック表で入念にチェックをする鈴木正人さん

図2 離陸のため、飛行前の入念な調整中のパイロットの中山さん。

   毎朝のロードトレーニング40kmを欠かさないという。

図3 いざ出陣で「極楽とんぼ」に乗り込む中山さん。後ろで支えるのは鈴木正人さん。

図4 離陸。チームの仲間が援助している。

図5 力の限りどこまでも極楽を目指して水平飛行を続ける。

図6 多くの仲間の支援があって飛び立てる。

   着陸後(死後)の後始末も仲間の支援が欠かせない。一人では死ねない。

  

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