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2017年6月 3日 (土)

大垣まつりとは、動態のお墓(改定2)

 大垣まつりは、1648年(正保5年)ウィーン公使であった戸田共氏伯爵のご先祖にあたる初代の大垣藩主戸田氏鉄公が城下の八幡神社を再建した折、城下十八郷が神輿三社を寄進して喜びを表し、大垣十ヶ町(本町、中町、新町、魚屋町、竹島町、俵町、船町、伝馬町、岐阜町、宮町)が10両の軕(山車)を造って曳き出してその喜びを体現したことが起源という。

 

大垣まつりの総括

 大垣まつりは、370年前の初代大垣城主戸田氏鉄公への感謝と毎年の豊作を祈願する地元全体で行なう神事である。人々は名君であった城主を偲んでお祭りを行う。故人を偲んで石に名前を刻んだのが静態のお墓で、お祭りは動態のお墓といえる。伝統行事としてこのお祭りが続く間、大垣の戸田城主は、民衆の心の中で生きている。老若男女が山車の諸芸に合わせて日本の邦楽を奏で、日本の伝統芸能と先祖を敬う心が、大人から子供に継承されていく。先祖を敬う心を子供に、自然と植え付ける。良き伝統である。

 

大垣まつりの稽古

 この日のために、子供を中心とした伴奏者達が、町内に集まりほぼ2週間にわたり夜に練習を続ける。稽古の始まりは世話人が「それではこれから始めます」というと、子供たちを含め全員が一斉に立ち上がり「お願いしまーす」で始まり、「ありがとうございました」で終わる。その後、子供たちはお菓子をもらいご機嫌である。その間、付き添いのお母さん方はおしゃべりに花が咲く。

 軕の曳き回しと八幡様の前での諸芸では、重い軕を回転させたり、お辞儀をさえたりするので、引手のチームワークが必要で、練習が欠かせない。町内の名誉がかかっているので真剣である。稽古始、中稽古、稽古納めには、町内のものが料理・酒を持ち寄り祝杯を挙げる。学校もPTAも協業して子供の教育の場として熱心に応援している。

 そこから共同体としての意識が育つ。日本の和の精神のもとである。街に大垣まつりのお囃子の笛の音が響くとき、それは春本番の訪れの声である。

 お祭りでは、遠方からも知人・縁者が集まり、御馳走が振舞われ、旅芸人が集まり、屋台が出て、お金が回り経済が活性化する。人々に生きていく喜びと共同体としての和の意識を与える。素晴らしい先人の知恵である。

 

大垣まつりの歴史

 1679年(延宝7年)、第四代の大垣藩主戸田氏西公が、神楽軕、大黒軕、恵比須軕の三輌を下賜。この3輌を「三輌軕」とよぶ。慶安元年(1648年)八幡神社の古文書によると、造られたばかりの軕に対し「十町之車渡リ物尽善尽美(十町の車渡り物、善を尽くし美を尽くし)」と、称えられている。また今は姿を消したが、「朝鮮人行列」という、朝鮮通信使を模した竹島町の異国情緒あふれる行列もあった。

 濃尾震災、第二次世界大戦の空襲で軕の多数失うが、2012年、復元等により13輌の全てが完全に復活した。

 災害を免れた軕9輌と朝鮮軕付属品は、岐阜県の重要有形民俗文化財に指定され、2015年3月2日、「大垣祭の軕行事」として、国の重要無形民俗文化財に指定された。2016年12月1日にはユネスコ無形文化遺産に登録された。

 

軕の種類

大垣は、中京圏と近畿圏の境に位置し、軕の作り方で融合型の山車となっている。中京型は名古屋型で、近畿圏型は長浜流芸山型であり、大垣の本軕は、全ての型が揃っていて全国でも珍しい。そのうち三軕は生粋の大垣っ子である。

大垣の軕は、下記の4種類からなる。

①  無蓋軕、

②  前軕、本山車、後山車を持つ山車、

③  前軕がなく本軕から樋が突き出ている本軕、

④  前軕を舞台に改造した踊り山車

 

試楽は、土曜日に行われ、13輌の軕が朝9時に八幡神社前に集結する。八幡神社の鳥居前で奉芸を行った後、市役所玄関前に移動する。そこで掛芸披露を行う。この行事は、かつて大垣藩主が大垣城内に軕を曳き入れて上覧したことに由来し、現在は、藩主に代わり市長がその役を務める。以後、各軕は自由行動をとる。

 

本楽は、日曜日に開催され、各軕は八幡神社前に集結し奉芸を披露する。後、神楽軕を先頭に城下(東廻り・西廻り(毎年交代)が存在)を練り歩く。

 

夜宮では、試楽、本楽両日とも、19時より各軕は八幡神社前水門川沿いに集合して提灯を点灯する。八幡神社前を2周し、曳き分かれる。本楽の夜には神輿の渡御も行われる。

 

大垣まつりの人出数

 ユネスコ登録後、祭りの観客数が急増した。2017年は初日の試楽の日が雨天のせいで、29万人の人出となった。2011年の試楽が10万人、本楽が12万人で計22万人である。比較が難しいが、雨でなければ人出は2倍になったと推定される。2011年の大垣祭りの写真と比べると、人出の数が増えたことが良くわかる。街の活性化で人がいなくては話にならない。大垣祭りが街の活性の一助となっている。

 

この項、一部wikipediaより編集

参考文献 浅野準一郎著『大垣まつり』風媟社

     長野良行、水崎薫、田中千奈代著『東海の山車とからくり』ゆいばおと刊

 

下図1 昔の大垣まつりを説明した大垣城の説明看板

下図2 2011年 大垣まつり・本楽での人出(これで12万人の人出)

下図3 稽古の成果が問われる大垣まつり本楽でのお囃子の伴奏(2017年5月14日)

    見守る親御さんの方が真剣かも。よき教育の場です。

下図4 大垣まつり・本楽でのお囃子の伴奏(2011年5月14日)

     皆さん真剣です

 

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