フルコンサートピアノの歴史講座
先日、名古屋ヤマハホールで、フルコンサートピアノの歴史講座があった。戦後間もないころの1950年に開発されて、今まで開発、改良が続けられてきたフルコンの技術開発の歴史のお話しである。技術屋にはたまらないお話しであった。新旧のフルコンサートピアノを並べ、その改良点を目で視て確認し(カタログではそこまで詳しく書かれていない)、納得した。
私の夢(一生かかっても実現できないような大きな夢)は、フルコンサートピアノのあるホールを作る事。それがあり、今回の講演会のご縁があった。
新旧のフルコンサートピアノ CFX in 名古屋ヤマハホール
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世界の誇れるヤマハのフルコンサートピアノは、川上源一郎社長の「世界一のピアノを作る」という情熱と理念が無ければ、生れなかった。何事も「志」がないと、何も始まらない。
「膨大な資本の余力が無ければ、名器は作れない。」(ピアノ技術者・杵淵直知)だからこそ国内で一番財力があるメーカが、世界一のピアノを作る義務がある。
コンピューター音響シミュレーションでの検証、実際の音楽家の声、100台にも及ぶ試作品、何度もの試行錯誤、その過程は私が工作機械の開発そのもの歴史であった。工作機械も大量生産するわけではない。しかしその性能が日本の生産力を左右する。そのため地道な改良が必要だ。そうやった努力が日本の高度成長の礎となった。
ピアノは楽器の王様と言われる。その頂点に立つのがフルコンサートピアノである。それで会社経営的に儲かるわけではない。しかし技術が成熟していないと、世界を制覇するピアノは生産できない。車つくりでも、F1レースで、その技術を誇るのと同じだ。
フルコンサートピアノの寿命は約10年だそうだ。ピアノも生老病死であることを再認識した。特に音響版の振動の耐久性が寿命に影響を及ぼす。木製の共鳴版が振動すれば、何時かはその木製の部分がへたってくる。自然現象で宇宙根源の理である。それが、コンサートホールに2台のフルコンサートピアノが有れば、当然、その寿命は2倍になるそうだ。演奏会でのピアノの負荷は甚大である。アマチュアがピアノを弾くのとは桁が違う負荷である。
また性能が高いピアノは、その環境の影響が大きく、温度管理はもちろん、湿度管理も重要である。日本のピアノは温度変化、湿度変化に強いがあくまで家庭用のピアノの話であって、コンサートピアノの場合とは違う。
正式のオーバホールの場合、共鳴板まで替えることもあると言う。以前、ウィーンのオペラ座で100年使われたベーゼンドルファーのピアノがフルオーバーホールされ、ベーゼンドルファーの東京ショールームでお披露目をされた。歴史を感じる音であったが、どうもその共鳴板まで入れ替えてのオーバーホールであったようだ。オーバーホールで残ったのは、外枠だけ?
以上は、講師の話しに加え、前間孝則、岩野雄一著『日本のピアノ100年』(草思社文庫)を拾い読みした内容を含めて記述した。この講習会で、講師がこの本を紹介してくれた。これを知っただけでも感謝である。
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以下、本書の裏表紙の記載
明治33年(1900)、日本楽器は国産第一号となる簡素なアップライトピアノを完成させた。まだ欧米には及ぶべきもなかった日本のピアノではあったが、大戦後、状況は一変する。高度成長で勢いを得たピアノ・メーカは新たなコンサート・グランド・ピアノの開発に情熱を傾ける。そして、リヒテルやグールドなど世界の名演奏家が愛用するピアノを生み出し、ついに日本を世界頂点のピアノ王国へと押し上げたのである。
誕生から100年間のピアノづくりに情熱を傾けた人々の姿を通して、日本の「ものづくり」の奇跡を見事に描いたノンフィクション作品。
第18回ヨゼフ・ロゲンドルフ賞受賞作
文庫サイズで469ページの大作です。1200円(税別)
2024-10-01 久志能幾研究所通信 2953号 小田泰仙
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