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2024年9月 1日 (日)

ものを買うとは、自分を買うこと

 

 骨董品、美術品にも、命がある。買った以上は、自宅でその命を全うさせよ。

 モノを買うなら、自分と一体となって、人生を助けてくれるものを買え。それを持っていると、飛翔する気にさせるものを買え。

 

自分を買う

 ものを買うとは、自分を買うことだ。ものを買う、自分を買う、である。人は自分の人格以上のものは買えない。

 人の家に行き、そこにある品物を見れば、その人の人格が分かる。人に見られても、恥ずかしくないものを買え。

 浅ましく値切って買うとは、自分の価値を値切ること。心理学では、それをディスカウントという。それは誰も幸福になれない人生ゲームである。値切るとは、自分の人格価値を下げる練習をすること。

 

評価基準

 現実問題として、趣味の悪いものが自宅に置いてあれば、来客に己の美的感覚が疑われる。都合のわるいことに、その来客は本音を言わず、腹の底で笑っている。私もよく腹の底で笑ったことがある。

 いいものを持っていると、それが評価基準となって、人のものを値踏みできる。

 いいものには、創った人の魂が籠っている。持っていれば、それからも洗脳されて、自分の未来にも影響を与える。

 

ものも成長する

 犬猫でも、ペットショップで買い、飼えば死ぬまで面倒を見る、毎日接せていれば愛情も湧く。それと同じである。愛情を注いでモノを大事にすれば、モノも表情が変わってくる。気に入って購入したからには、途中で捨てるのは、罪である。自分の選択眼がまちがっていたのだ。

 

絵の本当の値段

 いくら高価な品でも、売れば二束三文である。デパートの値段には、展示会場の減価償却費、店員の人件費、デパートの利益等が含まれる。それを転売して儲かるわけがない。画家に入る金は、デパートの販売価格の20~30%である。最近、デパートの画廊から60万円で買った絵が、売る時は3万円であった。だから売らなかった。その絵を持っている間に楽しめれば、その価値があったと思うべきだ。そうでなければ、選択がまちがっていたのだ。

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無償のものを買う

 町内の役員や班長や神社担当を引き受けるとは、無償のものを買うことだ。お役を勤めるとはものをかうこと。その役は、往々に持ち出しである。町内は、その人の人格を買っている。無責任な人には誰も頼まない。

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政治家の買うもの

 政治家が政策を実行するとは、政策というものを買っている。往々に利権が散りばめられた政策である。それで政治家の人格(人欠く)が露見する。政治家がやるものを凝視しよう。それが選挙民の義務である。

 東京都の中国製太陽光パネルの設置義務化など、その最たるものである。国産の太陽光発電装置でも、部品の太陽光パネルは中国製である。

壺を買う

 宗教団体から壺を買うとは、自分の愚かさを買うことである。

 太陽光パネルを買うとは、社会情勢を理解できない自分の愚かさ宣伝を買うこと。もう少し待てば、次世代の太陽光パネルの時代となる。それからでも遅くない。今買うことは、住宅メーカの売上至上主義に騙されて買うことで、愚かさの購入である。

 売国奴に投票するとは、日本の悲惨な未来を買うこと。だからこそ投票に行って、民意を正しく表明しないと、兵庫県知事のようなサイコパス政治の犠牲となる。

 広島一区の国民は岸田に投票したから、日本の衰退の未来を買った。自分達が衰退を買ったのだ。政策に政治家の本性が現れる。もっと目を拭い、耳を洗って政治家を凝視しよう。

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2024-09-01  久志能幾研究所通信 2927号  小田泰仙

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