先祖の、親の、師の恩
自分の親は父母で2人だが、2世代前なら、4人の父母がいる。10世代前の御先祖なら、1024人がいる。その一人でも欠ければ、自分はこの世にいない。一番近い親でも、父がシベリア抑留で死亡していたら、私はこの世に存在しない。現実に父の弟は、戦時中に結婚式を挙げてから入隊・出陣した。その叔父は敗戦後の1952年ごろシベリア抑留中に死亡している。だから従弟は父の顔を知らない。それを思うと、生の有難さと、運命の不思議さを感じる。
今回、発見できた11世代前のご先祖(北尾春圃)の血は、自分には2048分の一に薄まって伝わっている。そのご先祖の中に偉いご先祖がいる分かると、自分にも、その血流れていると思い、何故か嬉しくなる。自分も頑張らねばという気持ちにさせてくれる。
それがご先祖を祀ることのご利益である。今回、自分の10世代前の御先祖・北尾道仙が、名医・北尾春圃の三男であることが分かって嬉しい。ここまでたどり着くのに、25年もかかってしまった。
25年間、その探すという情報アンテナを張っていたので、今回のご先祖の発見となった。そのアンテナにスイッチが入っていないと、流れてきた情報には絶対に目がいかない。
それはどんな情報でも同じである。自分のアンテナに引っかかったのが価値ある情報である。
氏より育ち
更に考察すると、血のつながりよりも、ご先祖の後姿で示された生き様が、その家系のありようを象徴しているようだ。昔は、子供が成人まで生きていることも少なく、養子、養女をもらって家をつないだ例が多い。自家の12代の家系図を見ると、養子をもらって家をつないだ例が多い。側室まで存在した。血はつながっていないが、家のDNAはつながっている。それこそ、ご先祖の家訓、伝統、後姿でその家を保ったのだと思う。氏より育ちである。
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2024-08-25 久志能幾研究所通信 2917号 小田泰仙
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