人間の肉は不味い、太陽光パネル宗教戦争
7月26日、高山「あぶらむの宿」での会食で、以前、兵庫に住んでいた人の雑談が面白かった。
ミミズを食べて育ったイノシシの肉はまずいという。イノシシは飢えると大石までもひっくり返して、その下にいるミミズを食べると言う。
豊かな森で暮らす猪は、ドングリを食べて育つ。そのイノシシの肉は美味しいという。
草食動物の牛の肉は美味しい。
肉食のライオンの肉はまずくて喰えたものではないそうだ。
あぶらむの宿
自然食が並ぶ宴会の食事
宴の後の広間
.
人間の肉の味
そこで、人間の肉の味に思い至った。人類がこの地球上で、生き延びられた理由は、人間が雑食であるので、人肉がまずいからだそうだ。だから野獣に喰われることが無く、生き延びられたという。
喰えん人間、喰われる人間
一つの考え方しか食べてこなかった人や単純で純粋な人間は、宗教狂団にとって、美味しい人間だ。その人は宗教狂団の餌食になりやすい。その人間を洗脳するのは容易であるからだ。宗教狂団は、その人に教義を押し付けて、美味しく喰えるからだ。
会社から、「太陽光発電は良い」と洗脳されると、社員は自分の頭では考えず、猪突猛進で太陽光パネルを売りまくる。
偏狭な考えに凝り固まって洗脳された人間は、「煮ても焼いても食えぬ」人と表現される。それでは人間社会で爪弾きである。
だから多くの学びをして、高い見地から物事を判断できる人になるべきだ。そういう人は知識と智慧を備えている。知識だけでは駄目なのだ。そうすれば、宗教狂団に洗脳されることもない。
素直に物事をみて、宇宙根源の理に反せず、偏狭な考えにならないようにしなければ、宗教狂団に喰い殺される。そんな人間は社会から爪弾きである。
現在の世の中は、政府やマスゴミに洗脳されて、政府のやりたい放題で、議員は裏金でウハウハである。それは日本人が洗脳されているからだ。
私の宗教歴
私も今まで人生に悩み、阿含宗(オウム真理教のモデル)、統一教会、念仏宗、天中殺教(宗教とは少し違うが)、等の勧誘に負けそうにもなったこともある。
実際は今までの経験、知識で、家の宗派の曹洞宗、神道、お天道様教、トヨタ教、松下幸之助教が正しいと信じ、自然と入信(?)していたので、手前で思いとどまり、道を誤ることはなかった。
今はオダ仏教の教祖?として、信徒は自分だけの一人教団で活動している?
一神教と多神教
宗教も一神教と多神教がある。多神教は、ものごとを一歩引いて眺める余裕と謙虚さがある。そして寛容である。
しかし一神教はその宗教を信じるか、そうでなければ死である。寛容を許さず、選択肢は一つしかない。だからイスラエルとアラブ諸国の宗教戦争は2000年経っても収まらない。
自然エネルギー活用教団
太陽光発電信仰は、いわば一神教である。それを信じられないなら、それは彼らにとって敵なのだ。だから怖しい偏狭集団である。
世界の自動車業界は電気自動車一本鎗の戦術で攻めてきた(一神教)。トヨタは多神教として多方面の方策を準備する戦略で対応してきた。当初は、トヨタの戦略がまちがっていると非難されたが、この頃、その正しさが見えてきた。その一方で、電気自動車一本鎗の欧米・中国の自動車会社は、電気自動車の欠陥が現れてきて、その対応で大慌てである。
宗教とは
宗教の「宗」とは、「ウ冠」と「示」からなる象形文字である。「示」は神仏へのお供えを載せる木枠の象形文字である。だから宗教の意味とは、その家の教えであり、ご先祖の教え、家訓である。だから日本に5千万軒の家庭があれば、5千万件の宗教がある。その根底の基本は同じである。だから、私の家は、おだ仏教である。
日本の13宗は、いわば大量生産の規格化されたファミリーレストランと同じである。各家庭に教え(家訓)は、家庭料理に相当する。
太陽光発電教
「太陽光発電教」も、狭い視野で、自分の会社の利益だけ、会社からのノルマだけに囚われて、他の不利益は目に入らない。その販売をごり押しするから、誤って道を歩む顛末となる。各論は正しいが、綜合的に地球環境的には間違った行動となる。世界経済の総合判断、地球環境の考慮、未来の地球環境から判断して、採否を判断せねばならぬ。それから判断すると、SDGs教は、間違った異教の宗教である。人類には間違いの教えである。その典型が太陽光発電である。
何が正しい?
何が正しいか、その答えは、利権を離れて、素直な目で、宇宙根源の理に合わせてみないと、見えてこない。少なくとも、私は太陽光発電の利権には関係ない。太陽光発電に拘る人は、利権に染まっている人々だ。
2024-08-02 久志能幾研究所通信 2894号 小田泰仙
「久志能」↖ で検索
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
コメント