八事霊園を俯瞰して達観、男性の健康寿命は72歳
愛知県がんセンター病棟8階の窓からは、名古屋市最大の八事霊園が目に入ってくる。天国に一番近い最上階の8階からこの八事霊園は見える。最上階の8階に入院する患者は、重症者か裕福な人が多いようだ。
最近知りあいになった知人も、この病棟の下層階に入院したことあるという。当時、「8階にはどんな種族の人が入院しているのかしらと疑問に思っていた」という。確かに差額ベッドで1日32,000円である。私以外は、上級国民なのだろう。私には少し高いと思ったが、当初の予定は2週間のことだし、金を残して死んでも意味がないと思い、また故河村義子先生も同じ階に入院されたこともあり、この病室を選択した。
部屋にトイレとお風呂まで付いてて、台所、応接セットまである。まあ相応の値段である。普通の部屋の2倍の広さである。
結果、入院期間が延び、1か月になってしまったのは、想定外であった。しかし、静かに、自分の人生を見つめ直し、死生観を定めるには最適な環境ではあった。
一か月の入院中、一度もテレビのスイッチは入れなかった。
生死をさ迷うと、テレビを見たい気分ではない。
愚劣が番組しかやっていないテレビは見る気になれない。
ガンセンター8階からの展望 向うに八事霊園が広がっている。
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手術後、少し元気になって、病院内を体力回復のため歩き回った。病棟の1階ロビーに設置されている山本眞輔作「生生流転」に魅了された。毎日、この娘に会うためロビーに通った。この娘を見つめていると何故か心が落ち着く。命は限りがあるが、その命は連綿とつながっていく。人の運命のその手の上にある。それを象徴した像である。この病院に相応しい像である。
朝の6時半ごろ、1階ロビー、まだ病院は開いていない
「生生流転」は静かにたたずむ
死生観
八事霊園を1か月間、眺め続けて、「生生流転」像を毎日眺めつづけて、死生観がさだまった。人は生老病死である。ガンにはなったが、すぐ死ぬわけではない。また、がんが治っても何時かは死である。がんにならなくても、何時かは死である。
だから頂いた命を大事にしたい。がんになってしまったことは致し方ない。今からでも遅くないので、病後のできる対策は全て打つ、不合理な手は打たない、である。だから抗がん剤治療は薬剤医師とけんか別れをして拒否をした。抗がん剤治療は、ガン部摘出後の「病院方針の標準治療」である。抗がん剤治療を受けないと、命の保証はしないと脅された。それでも拒否である。
私は技術者であるから、事象があれば、それが起きた原因を探すのが習性である。トヨタ生産システムでは、なぜ何故と5回繰り返すのが鉄則である。それで何とか5年を過ごした。
健康状態の確認
私が、がんセンターに入院中は毎日、体重、体温、食事量を記録用紙に記録させられた。病人だから仕方がないと割り切って従った。
日本人男性の寿命は81歳だが、健康寿命は72歳である。それ以上は病院通いや寝たきり、認知症になる歳である。要は72歳以上の高齢者は半病人である。
私は現在、その歳を超えてしまった。それを鑑み、ヘルスメーターを更新した。自分の体調の異常の早期発見のため、体の測定値の血圧、体温等の20項目を毎朝に、毎夜に測定して、記録を眺めている。この項目はタニタのヘルスメーターで表示される項目である。自分が半病人だと自覚し、すこしでもそれを改善しようという意思でデータを眺めると、その記録行為は苦痛ではない。
予防保全
そのデータから、異常を早期に発見するのは良いことだ。病気になってからでは遅いのだ。トヨタ生産システムで言えば、予防保全である。機械は必ず故障する。機械だって生老病死である。その予兆は事前に出てくるので、対策を打つことである。
自分が入院して、毎日点滴をされ、検査をされると思えば、入院せず、自宅で記録だけなら苦にならない。入院すると、健康の有難さを痛感する。
2024-08-28 久志能幾研究所通信 2922号 小田泰仙
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