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2024年8月23日 (金)

100年先、1000年先を考える

 

 今、自分が行動しようとしていることが、100年後、1000年後に子孫に役立つかを考えて、行動したい。

 今年の地蔵盆祭りのお下がりを、子供の将来を考えて、お菓子から文房具に変えた。その時は、100年後、1000年後を考えたわけではないが、子供の将来には良いと信じて変えた。子供がその文房具を使って、創造性や勤勉性、学びの習慣を少しでも付加できれば、将来、日本を背負って立つ青年の教育に役立つはずだ。

 今読んでいる本で、「100年先、1000年先を考えよ」という言葉に出会った。言葉との出会いもご縁である。その言葉に勇気づけられ、お下がりの文房具への変更を「独断で」実行した。町内には事後報告である。

 

 自治会長として何も変えず、今まで通りにするなら、一番楽である。批判もされない。変えれば軋轢が出てくる恐れもある。しかし変えなければ、何も進歩はない。自分の利害を捨てて、今の自分の行動が日本の100年後、1000年後に役立つかを考えたい。利己的な行動では、日本は良くならない。やることは小さなことで、今の行動で効果が出なくても、100年後に少しでも効果があると信じられるなら、やるべきだと信ずる。

 

英霊

 今から80年前、太平洋戦争末期、特攻、兵役、外地進攻で、多くの日本人が命を捧げた。特に特攻隊員は銃後の老いた親、新妻、子供を考えて、命を捧げた。それがあり、戦後、米国は自らの命を犠牲にした精神性に恐怖を感じて、恐る恐る占領政策を行った。それが無ければ、もっと悲惨な占領政策が行われただろう。

 欧米が植民地にしたアジア諸国は、そういう抵抗が無かったので、植民地支配は凄惨を極めた。その残酷な植民地支配を破壊した日本はアジア諸国からは感謝されている。だから英霊の死は、決して無駄ではない。中共が日本を非難しているのは、中共が、欧米と同じ支配階級で、人民を抑圧する立場であったからだ。

 戦争中に命を捧げた英霊は、結果として100年先、1000年先の日本を考えて戦ったことになる。

 

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 馬場恵峰書

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英霊に院号

 私の家系も2名が戦死している。それがあるから今の私がいる。それがあり、2015年、自家のお墓を改建する際、戦死した叔父の位牌をつくり直した。その叔父の法要は既に50回忌も終わっているのに、である。その際、住職様が院号として「護國院」を授けられた。住職様も英霊に院号を付けるのは名誉だと言われ、そのお金は請求されなかった。子孫がそれを見て、なんらかの誇りを得るはずだ。それが100年先、1000年先の日本のためになるだろう。

 

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現状の憂い

 今の堕落した政治家たちは、自分の利害しか考えていない。今の利権政治家や売り上げ至上主義の経営者、社員は、もう日本人ではない。グローバル経済主義狂というウイルスに侵されてゾンビと化した。拝金至上主義に洗脳された人の仮面を被ったゾンビが跋扈している。だから失われた30年が生まれた。

 この現象の責任は、国民が政治に無関心になり、異常な政治家に投票した選挙民にある。もっと目を見開き、正しく議員を選ぶべきだ。

 

2024-08-23  久志能幾研究所通信 2912号  小田泰仙

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