祖母の50回忌、盲亀浮木の如し
先日の10月28日、祖母の50回忌を執り行った。2年前に祖父の100回忌を執り行った。そのご縁に出会えるだけ幸せであると感じた。本来、出席する予定だった従弟は、昨年末、コロナで亡くなってしまった。健康でその歳まで生きていないと50回忌は執り行えない。祖母がいて、両親がいて、自分の生がある。
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歴史のIF、人生のIF
もし東条英機が日米大戦を決意しなければ、もしルーズベルトが日本から戦争を仕掛けるように追い込む陰謀を画策しなければ、日米戦争は起きなかった。当時の米国は厭戦世論が蔓延し、ルーズベルトは戦争をしたいが、できず困っていた。
日米戦争が無ければ、両親は出会うこともなく、私も別の家に生まれたかもしれず、祖母とのご縁もなかったろう。もし父がシベリア抑留でシベリアの土になっていたら、私の生は無かった。従弟の父はシベリアの土になった。
一つに生が生まれる確率は、一億円の宝くじが連続で100万回連続で当たると同じである(筑波大学村上和雄名誉教授談)。
私は、太平洋戦争が終わった後の日本に、犬畜生でなく五体満足の人間として生れられたのだ。まるで「盲亀浮木のたとえ」と同じである。それこそが、いずこから来たご縁の恵みで、それが人の道のお宝である。その恵みに感謝するのが、人の道である。
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50回忌の意味
そう思うと、自分が元気で、祖母の50回忌を執り行えるというのは稀有のご縁で、感謝である。今まで70年間も生きてきて、50回忌に参列したのは、今回を含めてたった2回である。
祖母は5人の男子と1人の女子を生んだ。その内、2名が戦死である。その孫で50回忌に参列出来たのは、私だけである。他の孫(従弟)達は、既に死亡した者、昨年コロナで死亡した従弟、認知症になった人、入院中の人、老齢で動けない状態の人もあり、50回忌に参列が難しいのが現実である。それに思いを馳せると、盲亀浮木のたとえは、現実味を帯びてくる。最近の法事は3回忌で終りと言う家庭も多い。それを今回、50回忌を執り行えたのは幸せであると感じた。まさに一期一会である。これからも出会うご縁を大事にしていきたい。
盲亀浮木のたとえ
盲亀浮木とは、大海中に棲む目の見えなくなった老海亀が百年に一度水面に浮き上がってきた時に、大海に漂っている穴の空いた流木に偶然首を突っ込むという喩え話である。
出会ったり、物事が実現したりすることがきわめて難しいことの喩えで、この出会いとは、人として命をいただく事の困難さ、更にその人がお釈迦様の尊い教えに出会う事の困難さ、人と人の出会いが非常に難しい事の喩えである。
お釈迦様は、「こんなたとえ話は誰もが、あり得ないと思うだろう。しかし、全くないとは言い切れない。人間に生まれるということは、この例えよりも更にあり得ない。とても有難いことなのだ」 と仰られた。
このお話は『雑阿含経』に説かれている。
盲亀浮木のたとえ - 奈良薬師寺 公式サイト|Yakushiji Temple Official Web Site
https://yakushiji.or.jp/column/20201102/
いづくかの来たりし去り行く人の道 縁の恵みは生の寶なり
(色紙に鉋の削りくずを貼って作成)
馬場恵峰書 (額の大きさ 126×46㎝)
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2023-10-30 久志能幾研究所通信 2766号 小田泰仙
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