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2023年9月27日 (水)

六つ墓村の墓じまい、タタリで癌に? (1/2) 改訂版

ご先祖のお墓を墓じまい

 祖母の親戚の叔母が2008年に亡くなり家が絶えた。叔母は京都の尼寺の住職であった。人間国宝の日本舞踊四世家元 四代目井上八千代の葬儀(2004年3月)では、この安寿様が導師を勤められた。舞妓さんたちがお参りする尼寺である。安寿様は愛知専門尼僧堂の青山俊董堂長に師事された。祖母は北尾家の最後の人であり、逝去された事でご先祖の4つあるお墓をどうするかの問題が表面化した。北尾家は井伊直弼公にご縁のある人であった。

 2015年、私が両親の23回忌、13回忌の法要をした時にそれが判明した。叔母はいつも何も言わない方であったが、意図があって親戚に連絡をしなかったのかもしれない。自分の代で家が途絶えることで、お墓の件で、菩提寺の住職にしかるべき対応をお願いしていたようだ。しかしその住職も認知症で2014年、施設に入院してしまったので、安寿様がどういうお願いをされたか不明である。安寿様も想定外である。その住職は私と同年である。人ごとではないが、前住職の認知症はなるべくして発病した業である。天網怪怪疎にして漏らさず。それも20年のタイマー付きである。

 叔母は、曹洞宗の住職として、永平寺に納骨をされていた。2015年4月27日、私は、福井の大本山の永平寺に出かけて回向のお経を上げていただいた。親族控え室で小一時間ほど待ち、本堂に入った。その日は3家の納経の儀があり、8名の僧侶により読経を上げていただき焼香と拝礼をした。なにかほっとした。

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旅立ち

  自分も何時かは旅立たねばならない。その時、後の人に自分の意思が正確に伝えられるかは分からない。死人に口なしで意思が捏造されることもある。明日、不慮の事故や脳梗塞、心筋梗塞で倒れるかもしれない。この3つの死因の比率は約30%である。死後の準備の間もないまま来世に旅立つ人が数多いのが現実である。今回の事象でそれの現実を教えてもらった。これが家系図の作成、遺言状の作成をする決断のご縁となった。

 

お墓の再建

 今回の件はご先祖からの啓示であった。私が叔母の先祖代々のお墓をお守りし、この機会に50年余を経過した小田家の墓を再建し、祖母方の先祖代々のお墓を統合・合祀する決断をした。同時に彦根藩に関係した北尾道仙の墓を再建する。

 50年余を経過すると、墓石の品質が明かになる。質の良い石は50年くらいでは劣化しないが、品質の悪い石は10年程でも劣化が目立つようになる。墓石のほころびが、魂を込めた仕事の大切さを教えてくれた。松居石材商店(文政12(1828)年創業)の松居保行店主が、本件で墓参りに行った時、たまたま仕事で墓地に来ていて、現物の墓石でその石の質の差を説明してくれた。

 

明徳

 今の自分の仕事の品質(徳)が10年、100年、1,000年後に明らかにされる。それが明徳の現れである。今の仕事にどれだけの徳を込めるかである。松本明慶先生が高野山中門の四天王に、今後の1,000年間の守り佛としての思いを込めて造立した志が伝わってきた。この教えこそが師天王の教えである。

 その経緯もあり、私はそのお墓を引き継ぐことを決意した。そして六基あった古いお墓を墓じまいして、三基のお墓を新たに建てた。それでご先祖のために、父方と母方のご先祖の墓を統合した供養塔として五輪塔を建てた。

 今振り返ると、お墓を建てた年は、高野山開山1200年の2015年で、再興された中門に松本明慶大仏師が四天王を納佛し、開眼法要をした年であった。よき因縁であった。

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 ご先祖のお墓

  京都の安寿様が守っておられた。その叔母が亡くなり、正式に墓じまいの法要をして、新たに五輪塔を建てた。

 

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 墓の字は馬場恵峰師に揮毫していただいた。

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 父方と母方のご先祖の墓を統合した供養塔としての五輪塔

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 松本明慶大仏師作 広目天

  高野山中門に納佛直前の姿 松本工房にて  ‎2014‎年‎11‎月‎23‎日

  高野山中門に設置されると、邪鬼の姿を含めての姿は、柵のためあまり見えない。この全身の姿を拝めたのは稀有なご縁であった。

 邪鬼は四天王に踏みつけられているのではない。四天王を支えているのだ。自分の生がご先祖に支えられていると同じである。ご先祖の姿はお墓でしか見えない。それは邪鬼の様と似ている。邪鬼とは現世で生きる我々を支える仏様の全てである。

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松本明慶大仏師作 持国天

  高野山中門に納佛直前の姿 松本工房にて  ‎2014‎年‎11‎月‎23‎日

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 高野山中門の広目天 開眼法要後 2015年4月25日

 足元の邪鬼の姿は前面の柵のため良く見えない。

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  高野山中門の持国天 開眼法要後 2015年4月25日

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2023-09-25  久志能幾研究所通信 2749号  小田泰仙

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