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2022年8月25日 (木)

お墓改建の後始末

 

 2015年のお墓の開眼法要の後始末も終り、ほっとした2016年元旦、お寺から年賀が届き、今年の年忌に当たる母の戒名が入った連絡書が同封してあった。それがまたひと騒動の始まりであった。

 

後始末

 人生の出来事で何事も後始末が大事なのだ。たった一つの後始末をきちんとしないために、全てを失うこともある。人生は能舞台なのだ。人はそこで演技を舞う。神仏から人生舞台でのお役が与えられている。黙って舞台に上がり、黙って演技をして、黙って舞台を降りる。幕が下りても、舞台を降りてその場を去るまでは、人生なのだ。最後まで気を抜かず演技をしよう。

 

戒名が違う!

 その母の戒名が私の記憶にある戒名と違っていた。2016年1月3日、お寺に行き確認をしたら、お寺の過去帳に記載の戒名と位牌の戒名が一文字だけ違っていることが判明した。他の戒名も不安になり、墓誌に書いた先祖の戒名を再確認したら、祖父祖母、母の3名の戒名が違っていた。今まで43年間もその戒名の位牌に手を合わせていたので、その戒名が過去帳と不一致だとは夢にも思わず、それを元に墓誌を作ってしまった。墓誌を作るとき、家に位牌のない親類縁者の戒名はお寺の過去帳から確認してもらったが、戒名が既知である両親と祖父祖母の戒名の確認をしなかった。家の仏壇に位牌があることで盲点となっていた。

 

ゴッドファーザーとのご縁

 戒名とは、葬儀の引導を行う僧侶が故人に付ける名前である。故人は戒名を授けられることで僧侶の弟子となり、来世で仏道を修行することになる。院号とは、その故人が来世での修行のために建ててもらった寺の名前である。院号は本来お金では買えず、お寺や社会に貢献をしないと授けてもらえない。

 それゆえ引導をする僧侶はゴッドファーザー(名付け親)である。その戒名はゴッドファーザーの意志が絶対である。白木の位牌に書いた戒名と過去帳に書く戒名が食い違っていても、住職が過去帳に書くときが絶対に正しいものとして扱われる。位牌に書かれた戒名は、50回忌が終ればお炊き上げされてこの世から消える。しかしお寺にある過去帳は永遠に消えない。それ故、食い違いがあっても、どちらを正とすべきかは自明である。そのため今回の戒名の不整合は、過去帳に合わせて直すことにした。位牌も墓誌もお金を掛けて直せば済む話であるが、過去帳は直せない。

 過ぎ去った過去を消せないのが人生である。しかし人生の出直しはできる。自分が位牌を作り直せる状況であるだけでも、幸せである。自分が下流老人でないことを喜ぼう。今回、ご先祖は新しい位牌を作ることで、正しい戒名で仏道の修行に励まれることになる。

 導師である僧侶が過去帳に書いたときが、その故人に一番相応しい戒名である。30年来の吾が師である本多先生(住職)の教えを頂き、本件を納得することになった。本多住職は私のニックネーム「オダブツ」の命名者でもある。つまり私のゴッドファーザーである。

 

 このご縁で小田家先祖の為写経を再度やりなおして、39枚の写経を完成させた。祖母の追善供養法要(2016年2月12日)後に、その写経をお墓に奉納することにした。また墓誌も再製作をした。半端な金額ではない。えらい出費である。

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 馬場恵峰書 写真集『心に残しおく古訓言』 撮影2015年10月26日

  

2022-08-25  久志能幾研究所通信 2472  小田泰仙

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