なぜ数学はできにくいのか、なぜ書が上手くならないか
数学ができるできないは、頭の良し悪しよりも、数学に接した量で決まります。(数学の出来る子は、ヒマがあれば、数学をしています。だから、出来るのです。)多くの「解き方」を知っているから、解けるのです。
津川博義著『世界最速「超」記憶法』(P196)
『切に思うことは必ずとぐるなり
強き敵 深き色 重き宝なれども
切に思う心 ふかければ 必ず方便も 出で来る様あるべし』
道元禅師『正法眼蔵随聞記』
これは数学に限らず、経済学でも、芸術でも、語学でも、人生の全てのことに通じる。どれだけそれが好きになり、どれだけ切望するか、それにどれだけ多く接するかで、そのレベルが決まる。
出来るまでやる。一日も欠かさず続ける。凡人の我々に出来ることは、それしかない。それを一事一心一念道という。
下世話な話で、米国の乞食は日本人より英語がうまい。その理由は、彼らは日本人より、多く英語の会話環境に接しているからだ。しかし英語がうまいのと、英語で論理的に話せるのとは、別である。それには系統だった教育が必要だ。
TOEIC900点の英語猛者でも、書類の作成に論理構成の必要な科学工業検定試験(TEP)1級は受からない。それには論理構成の系統だった勉強が必要だから。それもそれにどれだけ多く接したかだ。
強烈に切望さえすれば、美人でも、権力者の座でもなんでも手に入る。しかし、それで幸せになれるかどうかは、別問題である。不純な目的なら、不幸になるのが世の定めである。それに見合った財力、体力、徳力がないと、それで地獄に落ちる羽目となる。美女から毎夜攻められたら困らない?
馬場恵峰先生は、6歳から書道を始めて、94歳までそれを続けられた。師は6歳までも、家のあちこちに飾られた書を見て育ったようだ。それは6歳の時の書を見ても、上手すぎて呆れる。つまり書に接した量が半端でなかっただけだ。
馬場恵峰書 小学校1年生時
馬場恵峰書 92歳
書道では、同じ形では書かない。「一」の変化に注目
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2022-06-22 久志能幾研究所通信 2413号 小田泰仙
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