「トヨタの片づけ」で人生を片づけ隊
トヨタは5Sで世界一になった。5Sとは整理・整頓・清潔・清掃・躾である。
トヨタの片づけ格言
◆きれいにするのがゴールではない
最終目的は、仕事の効率化、利益確保、人の育成、理念の達成である。
見た目がきれいに整頓されていても、整理されていないと使えない。
整理とは、何時でも使える状態に管理すること。
◆人を責めるな、仕組みを責めろ
片付かなくなってしまった仕組みを改めよ。
片付かないと、自身が損の痛みを直接感じる仕組みを作れ。
◆ムダという宝を探せ
無駄の中に、改善のネタが埋まっている。
それを一つ一つ改善すれば、業界でトップになれる。
小さな改善の積み重ねでトヨタは世界一になった。
◆捨てるのが「もったいない」「いつか使う」は諸悪の根源
「いつか」という時間には、高いコストがかかっている。
期限の無い、「いつか使う」は、無駄の最たるもの。
◆ものを持つことはコストになる
モノを持てば、減価償却が発生する。
モノには場所も税金も人工もかかる。
◆指導者は桃太郎たれ
部下をキビ団子という報酬を掲げ、結束して力を合わせよう
人生の片づけ
これを自分の「人生の片づけ」に当てはめて、人生をオダブツ教の6Sで人生を乗り切るべし。
6Sとは、整理・整頓・清潔・清掃・躾・創造である。創造(智慧)こそ時間創造の基本である。整理・整頓・清潔・清掃・躾・創造があれば、人生を歩むスピードが上がる。
知識ばかりあっても、整理されてないと情報のゴミとなり、使えない。情報を智慧のレベルに上げよ。
目的地
綺麗ごとの人生では、人生の最終目的に到達できない。泥だらけ、傷だらけの人生であっても、人生の目的を全うすればよい。遅くてもよい、着実に早く決断をすること。即決でなくてよい、早い時期に決める。歩む速度が遅くても、早く決めれば、敵よりも早く目的地に着く。敵とは優柔不断なもう一人の己である。何処へ行くかを早く決めるべし。
いくら頑張っても、あと50年は生きられない。自分の人生をどう片づけるのか。癌になってもその片づけはできるが、認知症になってしまえば、片づけが出来ない。
システム構成
こんな私に誰がしたと嘆かないで、自分の人生は自分で片づけるべし。
人生のお荷物はAI付きブルドーザーを使って片づけよう。
無駄こそお宝
人生で無駄なことは一つもない。病気も不遇も事故も全て自分の成長にために必要な事象である。人生が総て思い通りに行けば、鼻持ちならぬ人間になってしまう。
病気をするから体の限度が分かり、体を大事にする。人の痛みが分かる。
会社での冷遇も、自分の至らなさを教えてくれる仕組みである。仏様が頑張れと言っている。
小さな事故が自分の危機管理の至らなさを思い知らせてくれる。それは仏様からの啓示である。そのまま突っ走れば、大事故に遭い死亡である。
先日も、事故寸前となる事象に遭遇したので、仏様からの啓示と思い、ドライブレコーダーを前後2カメラ方式にすることにした。危機管理である。
体で体験しないと智慧にならない。それが格物致知である。
「いつか」などは永遠に来ない
今しかない。今使わないものは、永遠に使わない。捨てるべし。
必要な時に、必要なものを買えばよい。
モノを溜めるのが習性であった母は、日用品を大量に保存していた。昔の人は皆同じである。私は母の死後、その処分のため時間とお金を使った。今はモノを処分するのにお金がかかる。保管場所も土地代という金がかかる。
所有コスト
モノを持てば、減価償却費がかかる。友人、知人を多く持っても同じだ。何時かはそれらが陳腐化する。知人友人が自分と同じように成長してくれればよいが、波長が合わなくなると別れがくる。
教育も知恵も経験も維持しないと減価する。現代は知識も陳腐化の速度が速い。そのための訓練、練習の保持活動が必要だ。それにはお金がかかる。自分はどんな能力を持つのか。費用を考えてその能力を持とう。
変な宗教思想を持てば、お布施という金ばかりを教団に貢ぐことになる。正しい思想を持とう。思想には所有コストがかかる。正しい思想は一つあれば十分だ。正しい宗教には、お金はあまりかからない。
人生のお荷物は早く下ろせ。
モノを持つとは
そのモノを持って、自分の人生を助けてくける存在のモノを持つべきだ。そのものと心中する気で、棺桶まで持って行く覚悟がなければ手に入れないことだ。
モノを買うとは自分を買うことだ。安いものを買えば、自分の人生を安物扱いすることになる。大事な人生が、ぞんざいに扱われてしまう。すぐゴミ箱行きとなる。モノを多く持てば、自分の持つ資源がぼやけてしまう。自分の資源を整理整頓清潔清掃にして、世の中で活用しよう。
自分というお荷物
自分が、認知症になり、粗大ゴミ同然になればその片づけコストが大変だ。人様に迷惑をかける。今後、日本は老人大国となり、その社会的負担が増加する。
自分が、そんな存在になるなら、沖縄のきれいな海にドボンした方が、世の為かもしれない。だからこそ人間として、存在付加価値のある人物になるべきだ。人として世の中に貢献してこそ、生きている価値がある。そうすれば仏様と社会が生かしておいてくれる。自分は生きているのではない、生かされているのだ。仏様が世の中で不要と判断すれば、死が訪れる。世の中で不用品にないように学び続けなければならぬ。
人は学ばないと、人間ではなくなる。
学ばないと宿命的存在、つまり動物的、機械的存在に成り下がる。
学ぶことで運命的存在、つまり人間的存在になる。
よく学問修行をすると、自分で自分の運命を創っていくことができる。
安岡正篤
鬼退治
人生の片づけとは、自分の内に存在する「鬼」を退治すること。後ろ向き、劣等感、僻み、等の自分をディスカウントする負の潜在意識が「鬼」である。外の敵は容易に退治できる。しかし内なる鬼は強敵である。それを退治しないと、人生は片づかない。鬼を退治して、人生目標を目指して、菩薩になろう。菩薩とは佛になるために修行をしている。それが生きる意味だ。私は毎日、馬場恵峰師の書を見て自分の人生を確認している。
「魂(オニ)」は松本明慶大仏師作、「不動心」は馬場恵峰書
2020-11-09 久志能幾研究所通信 1818 小田泰仙
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