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2020年9月 7日 (月)

磨墨知582 砂時計の落ちる砂を見つめよう

落ちる砂を自分の命の流れとして見つめよう。

砂の落ちる様にも春夏秋冬がある。落ちる砂にもドラマがある。

しかしどんなに人生が揺れていても、砂は無情に落ち続ける。

何時か必ず、砂が無くる時が来る。死は必然。

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命が一粒一粒、尽きていく。

手段に興じている時間はない。その目的は何?

手段ではなく、目的を追求しよう。

仕事をせず、長の座にしがみ付くだけで良いのか。

遊びをやり過ぎて、空しくないか?

毎晩毎晩飲んでいていて、悔いはないか。

「心」に「毎」回、自問しよう。それが「悔」。

霊長類の頭として、釣りで他の命をもて遊ぶのか。

他の命も必死に生きている。だから自分の命も大事。

自分は何のために命を使うのか。

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コロナ、交通事故、心筋梗塞、命の明日は分からない。

砂が残っていても、砂時計自体が倒れれば、オシマイ。

何を追いて、負いて、老うか。何を置いて、逝くか。

後悔の山は残すまい。

肉と欲は火葬場で焼える。三途の川は、手ぶら丸裸で渡航。

戒名が彼岸へ渡る搭乗券。己の戒めを骨に刻め。

だからこそ嘲りにめげず、人生の大事を急げ。

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動物として生まれ、成長して人間となり、立派に死のう。

欲望に染まったままなら、犬畜生と同じ。

生前に戒名を授けられるのが正式の搭乗手続き。

犬畜生に戒名はない。

葬式の時、戒名を付けるは後手後手の応急処置である。

構えよう、死は人生で最大のプロジェクトである。

私は、今年、戒名を授かり、墓誌に自分の戒名を刻んで、朱を入れた。

準備万端、後は死ぬだけ?

死を準備万端にすれば、此の世で怖いものはない。

 

2020-09-07 久志能幾研究所通信 1736  小田泰仙

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