死計 ―― 人生仕舞いを考える
自家のお墓を改建した時のお話です。
2015年11月、自家のお墓の改建工事中、まるまる4日間ずっと墓地で立ち会った。しかし石屋さんが作業中の側に常時いるわけにもいかず、多くの時間は墓地内の墓を見て回って時間を過ごした。そのお陰?で、墓地にある時代の経った多くの墓を熟視することになり、自分の人生仕舞いを考える機会を得た。静寂な墓地内を歩き回るのは、人生を考えるにはよい機会である。今までで、こんなに長い時間を墓地で過ごしたことは無い。また建築物の現場立ち合いは数多くしたが、お墓の建築での立ち合いは始めてであった。
水屋の向こう側でお墓の設置工事中 2015年11月16日
無縁墓
菩提寺の檀家200家中で、約30%が音信不通である。東京に出て行ったまま、連絡先が分からない家、絶えた家、法事をしない家等である。その事実をこの眼で確認した。お墓は一家に2,3基もある例が多いので200基近くも無縁墓があるようだ。お墓の解体作業では一基10万円から20万円の費用がかかる。総計で3千万円も処理費がかかることになる。無縁の場合、その費用はお寺が持つが、最終的にはお寺を支えている他の檀家が負担する。それを考えると、お墓の後始末、自分の人生の後始末とその後を真剣に考えた。
無縁墓の迷惑
無縁墓になっている家のご先祖は、決して今の状態を望んでいたわけではない。無縁墓になるとは、墓地の一聖地を無賃滞在するキセル行為となる。他の檀家にも迷惑をかける。別の檀家が新たに墓地を求めたくても、無縁墓が居座っているとそれも叶わない。お墓が新陳代謝をせず増え続ければ、日本中、無縁の墓だらけになってしまう。そうなるとお寺の没落と消滅である。そんな迷惑はかけたくないと思う。
お墓の生老病死
自分の死後、50年間も供養をしてもらえば、お墓が無くなっても納得できる。50年間も経てばあの世でも転生があろう。来世にも諸行無常で、生老病死があるはずだ。この世のお墓にも生老病死があり、新しくお墓を建てても、墓石の寿命がきて、風化した墓石を何時かは改建しなければならない。お墓を守る家系にも生老病死がある。改建してくれる親族がいなくなれば無縁の墓となる。それは他人迷惑、お寺への営業妨害である。
このことに思いが到り、私の死後の50年分の護持会費と永代供養費(50回忌まで)を来年納めると住職に話をした。それでも100万円ほどの話である。中古のベンツに乗ると、一回の車検で80万円も取られる(知人の伝聞)。それを思うと大した額ではない。お金を残して逝ってもお国が没収してしまう。その金をお役人が無駄遣いするだけだ。あと数十年経って、自分がヨイヨイの体になって、その段取りもできない状態になってからでは遅い。それで、今の時点で死後の段取りをする決断をした。今回のお墓改建の待ち時間で思いついた決断である。わずか2週間で2回も親族の骨を拾うというご縁が、自分仕舞いの道を拓いてくれた。(2015年10月記述)
後日談
上記の3年後の2019年1月、私に癌が見つかり、2月に手術と決まった。その手術の前に、葬儀の段取りと、50年分の護持会費と永代供養費(50回忌まで)をお寺に納めた。お墓が出来ていたので、その決断は早かった。お墓も何時かは必要となる。早めに段取りしておいてよかったと思う。
未だかって死ななかった人はいない。世界一の金持ちであったアップルのジョブズでさえ、56歳で死んでいる。金があっても死の前には無力である。
何時までもあると思うな、親と自分の命。死を意識して覚悟すれば、怖いものはない。
やりたいことを、やれるうちにやってしまおう。そのうち、金があっても体力も気力もなくなり、やれなくなる。人生はやったもの勝ちである。後は野となれ山となれ。
人の死
人は二度死ぬ。一度目は肉体的・社会的な死である。二度目は、その人を知り、悲しんでくれる人や供養をしてくれる人たちがこの世にいなくなったときが、第二の死である。その死後までお墓が残っても、あまり意味がない。それは社会への迷惑となる。そのお墓が、限りある墓地を占有することになる。会社や組織から、老兵は静かに消えるように、お墓も時が来たら静かに撤去されて、墓地から去るのが美学である。お墓が老体の醜態を晒しては見苦しい。
危機管理
50年か100年後、今回のお墓を守ってくれる人がいなくなる状態になった場合の危機管理として、今回の新設のお墓の撤去費用も預けようかと住職さんに相談したら、呆れられて、「次回お会いしたとき相談しましょう」という話になった。まだお墓の開眼法要も済んでいないのに、吾ながら用意周到すぎると呆れた。(2015.11.23)
今回改建したお墓の撤去費用を検討したら、その費用は、設置費用よりはるかの少ないのが分かったのが救いであった。設置の場合は傷つけないように慎重に工事を進めるが、撤去時は砕いて搬出するとのことで、重機は不要とのこと。
2020-07-29 久志能幾研究所通信 1682 小田泰仙
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