人間性分析 2/2 小川敏市長の分析
人間の徳性
人間を人間たらしめる要素として、本質的要素と付属的要素がある。
本質的要素とは、徳性である。徳性とは、明るさ、清さ、人を愛す、人に尽くす、恩に報いる、誠実、正直、勤勉である。付属的要素とは、徳性の発露を助ける要素で、知識、知能、技能である。(安岡正篤著『人物を修める』より
生きる目的
人は、人間として何のために生きるのか。自分として(組織)、吾として(神仏)、私として(利己)、どのスタンスで生きるかで、その生きざまが変わる。それが己の価値観である。組織の一員として生きるなら、組織の為に価値あるものを組織に提供する人生となる。神仏に帰依するなら人類に対する働きとなる。利己に生きるなら畜生の人生となる。
大村智博士の人生
大村智博士は、ノーベル賞を取ろうとして研究をしたわけではない。世のために儲かるはずのない微生物を研究者として45年間研究したら、100種以上のワクチンを発見でき、結果として人類に貢献できるワクチンが発見できただけである。世界中で年間3億人以上の人々が感染しながら、それまで治療薬のなかった疥癬症に対するワクチンを開発して、年間数百万人を失明の危機から救っている。それが評価されてノーベル賞を受賞された。
田中角栄の人生
田中角栄は、学歴があったわけではない。学歴がなく苦労したから、人の機微を熟知して、組織のリーダーとして人の心を掴んだ。組織の中で生きる術を駆使して首相に上り詰めた。田中角栄元首相は、「人は努力をすれば、必ず成功する。成功しても、それをひがむ人間がいることに注意せよ」と諭している。苦労した人しか言えない言葉である。「成功しても、決して僻む側の人間になってはならない」とも言う。「自分」の人生に生きた人の言葉である。
菅直人の人生
菅直人首相(当時)は、福島原発事故の際、原発の知識は東工大卒として、俺が一番だと思い、福島原発事故の現場に乗り込んで、「イラカン」の一番悪い状況を発揮して、指揮系統を大混乱させて、福島原発事故を大混乱の危機に陥らせた。その傲慢さが、彼に史上最低の首相との烙印を押した。「私」として、自己満足を優先としたから、無様な結果となった。
小川敏氏の人生
小川敏市長の今までの行動を観察するに、「私」が前面に出た行動が目につく。彼は付属的要素の知識の面だけは秀でているが、徳性が秀でているとはとても思えない。そうでない事例だけは、数多く目にした。智慧がある行動がない。
常盤神社での居眠り不敬、濃飛護国神社前でのギネス水饅頭の共食い行事で英霊への無礼、食べ物を粗末にしたギネス水饅頭の共食いの行事を含めて、彼はハチャメチャの大垣市制100周年記念行事で、無意味な100の数に拘り3億5千万円の市民税を浪費して、殿のご乱行として強引に100の行事を実施した。自己防衛目的で、その公金の使用用途をマル秘扱いにできる条令の制定等もした。
岐阜新聞、中日新聞でも、人を押しのけて過剰に新聞紙上に顔を出している。天皇陛下から叙勲を受けた人を押しのけてまでして、自分が中央になる写真撮影を強制する。
自分を崇める人間以外は、小川敏市長は相手にしないとも噂に聞く。なんでも自分が前面に出ないと収まらない性格では、組織として、人に任せる運営ができない。それでは人が育たない。まるで功名心の権化である。
本来、裏方であるべき人が、表舞台にしゃしゃり出て大垣市長として活動したのが、大垣市の不幸であった。彼ほど市民から愛されない無能市長も珍しい。だから大垣駅前商店街が崩壊した。大垣市の地価が半値以下に暴落して、都市として没落した。未来を支える大垣の子供達の教育体制が崩壊寸前である。
事例
下図は藍綬褒章を受章された木曽義尚さんと緑綬褒章を受章された藤井和子さんが、ノーネクタイの大垣市長をど真ん中にしている写真である。まるで市長が章を拝受したように見える。こういう類の写真が地方紙に頻繁に掲載される。小川敏市長の「私」が突出した行動である。大垣市民として恥ずかしい。こんな写真を掲載することを恥とも思わない地方紙がのさばっているのが恥ずかしい。子供の教育上で道徳が破壊される。
2018年5月30日、岐阜新聞西濃地域欄
小川敏氏の経歴
彼の過去を見ると、利己として、何が何でも東大出でなければ、気が済まなかったようだ。1969年、安田講堂事件が起きて東大入試が中止になった年、彼は京大に合格した。しかし彼は翌年、東大に入りなおしている。東大卒業後、超一流の伊藤忠商事に入社したが、わずか6年で退社して、超零細企業の家業を継いでいる。何が哀しくて、東大卒として将来が約束されたはずの超一流の商社を辞めねばならかったのだ。
伊藤忠商事の初代の伊藤忠兵衛は、典型的な近江商人で、その経営哲学「三方よし」の精神で、事業を発展させた。「三方よし」とは「売り手よし」、「買い手よし」、「世間よし」である。「世間よし」は、幕藩時代に、近江商人がその出先で地域の経済に貢献し、「世間よし」として経済活動が許されたことに起因する。それは「企業は株主との間でバランスの取れた事業を行うべき」との現代ビジネスの源流ともいえる。(近江商人博物館資料より)
初代忠兵衛の座右の銘は、「商売は菩薩の業、商売道の尊さは、売り買い何れをも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなうもの」で、高い道徳性と精神性が現れている。それこそ「自分」「吾」の思想である。
その経営理念が伊藤忠商事に浸透している。それと小川敏氏の「私」が色濃い考え方と合わなかったのではないか。推察すると、伊藤忠商事の退社は性格的に伊藤忠商事の社風に合わず、退社せざるを得なくなったか、性格が災いして閑職に追いやられて、嫌気がさして辞めたと推定される。
大垣に帰郷後の小川敏氏
その後の経過を見ると、小川敏氏が家業経営に没頭したとは思えず、家業はその後、小川敏氏なしで経営されている。その家業は今でも超零細企業の状態である。なぜ東大を出た小川敏氏が、家業を発展させられなかったのか。だから小川敏氏に経営能力があるとは思えない。高学歴と経営能力とは別である。大垣市が没落したのも、経営能力のない小川敏氏が市政の舵を取ったのが原因である。たまたま2001年、前市長の小倉満氏が現役で亡くなられて、小川敏氏が選挙に出たのが、大垣の運の暗転であったようだ。
小川敏氏の総合評価
小川敏氏は、裏方の事務局長としてなら優秀である。しかし組織を統率する政治家としては、不向きであると私は思う。一番の問題は、それを本人が自覚していないこと。謙虚でなければ、徳は現れない。傲慢では、健全な組織のリーダーは務まらない。
2019-09-12 久志能幾研究所通信No.1336 小田泰仙
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