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2019年8月 7日 (水)

人生60余年を振り返り

 今までの60余年の人生で、己は何を学んだのか。何を後世に残すのか。何が悔いなのか。年初に癌の手術をして余命2年宣告を受けてから、毎日、自分の人生を振り返っている。それを念頭にブログを書いている。 

 いつ何時、大震災・大地震が起きて、命が絶たれるかもしれない。東日本大震災では、猶予もなく津波に流された人や、911で自爆テロに巻き込まれた人を思い、最近の無差別殺人事件の頻発を思えば、人ごととは思えない。

 今、私は癌で余命2年を宣告され、身辺整理を兼ねて、溜まった雑誌や新聞を見直し、整理している。2011年当時、ある思いがあって東日本大震災関係の主要な新聞を全て保存しておいた。それを今、引っ張りだして眺めていると、感慨にふけさせられる。人の命は儚いものだ。当時の混乱ぶりが自他共に愚かに見える。その教訓が風化寸前である。それを当時の新聞を見直して、考え直している。

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 311記事の保存新聞は、この2,3倍ほどの分量がある。

 

振り返り

 己の生きざまが、仕事の成果に現れる。人生は自分が思った通りになるのだ。会社時代の38年間、その後の9年間の足跡を振り返ると、よくやったねと、自分で自分を褒めてあげたい。

 この10年弱でリフォームもした、書庫も造った、演奏会の写真も撮った、ピアノも弾けるようになった、馬場恵峰先生の本の出版もした、経営学もマスターした、お墓も作った、終活も終わった。それで大きな悔いがないのが救いである。

 今、余命2年と宣告された命を39年に延長するための仕掛けに、取り組んでいる。まず種を撒かないと、芽は出ない。現在、大きなプロジェクトが3つ計画・進行中である。今日も、10年後に花を咲かせるために、下調べと打ち合わせに行ってきたばかりである。先方から良き感触を得てほっとしている。

 戦いは生き残るためにするもの。戦わないと老化という時間に押し流され、露と消える。人の命は儚いもの。時間との戦いで汗をかけば、命が輝くと信じている。

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  馬場恵峰書

 

小川敏市政の振り返り

 小川敏市長は、この18年間で悔いはないのか。彼にそれを問いたい。彼は大垣をどう変えたのか。彼は、この18年間で無為無策の為、大垣の価値(地価)を半分に減らした。彼は、それを失敗だと思わず、その振り返りさえしない。今もその変革の兆しさえ見ない。反省なき行政は市民を地獄に連れていく。

 小川敏市長が市長になった目的は、市長になり威張ることで、大垣を良くすることではなかったようだ。小川敏氏は、東大に行くことが目的で、そこで何を学ぶかは目的ではなかったようだ。彼は当時、東大入試中止の為、京大に入り、翌年、東大を受験して、入学した。その後の経歴を見ると、何を目的に働いたかが薄々感じられる。その意図が不気味である。彼が大垣市長になって、大垣をどうしたいのか、今後どうしたいのかが、全く見えない。それが大垣市民を地獄に落とした。

 

Wikipedia で小川敏市長の業績を調べた(青字)。赤字の解説は著者。

小川敏 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/小川敏 

それによると、小川敏市長の業績はないに等しい記述である。

小川敏市長の主な業績[編集]

 平成の大合併では、最初は西濃地区全域の計画が存在したという。実際に2003年(平成15年)の西濃圏域合併協議会発足では10市町(大垣市、安八郡神戸町、輪之内町、安八町、墨俣町、養老郡養老町、上石津町、不破郡垂井町、関ケ原町、揖斐郡池田町)が参加し、中核市への移行をも視野に入れていた。しかし、調印直前になってからの離脱が相次ぎ、大垣市、安八郡墨俣町、養老郡上石津町の1市2町が残るのみとなる。2町とも旧・大垣市とは接することなく、二重飛び地合併という結果となってしまい、現在も大垣市が日本で唯一の二重飛び地の市である。旧墨俣町の区域は「墨俣町地域自治区」、旧上石津町の区域は「上石津町地域自治区」となっている。

 (周りの市町村は、小川敏市長の本性に気が付き、大垣市に反旗を振りかざした。その原因を小川敏市長は考えていないようだ。)

 近畿日本鉄道養老線の存続問題では、存続に力を入れている。その結果、養老鉄道養老線としての存続となっている。

 (当初は、小川敏氏はこの問題に反対で、県会議員や古参の議員の周囲に説得されていやいや対応した。現在、この鉄道の存続のための負担金が、零細町村も大垣市も均等であるように画策した。関連市町村は、その不合理に怒り心頭だが、この鉄道の存続の為、泣き寝入り状態である。)

 財政再建を推進しており、大垣市は2007年度から地方交付税不交付団体になっている。

 (小川敏市長は、出すべき金までもケチり過ぎて、大垣経済を衰退させた元凶である。小川敏市政は経済音痴である。デフレで大垣財政の財布を閉めれば、大垣経済は死ぬ。このため、小川敏市政18年間で、大垣市の地価は半値になった。大垣駅前商店街は61%がシャッターを降ろした。それでいて、小川敏市長は、節約と投資の区別もつかず、祭りや宴で金を無駄づかいばかりしている。)

 「墨俣町地域自治区」の下水処理場問題では、下水処理場の建設地が安八町に近いことから、安八町が強く反対している。この問題は、元々は墨俣町は安八町の下水処理場を使用することになっていたが、西濃圏域合併協議会の安八町の離脱、墨俣町の大垣市への編入の影響でその計画が頓挫したため、「墨俣町地域自治区」単独の処理場を建設することになったことから発生している。

 (結局、小川敏氏の人徳の無さと無能に起因する行政の失敗なのだ。

以上しか、小川敏市長の業績が記載されていない。これは業績がないとの結論である。)

 

人生の戦い

 戦いとは、生きるためにするもの。大垣市長は、大垣の生き残りをかけて戦わねばならない。近い将来、少子高齢化、東京一極集中で、日本の900近い市町村が消滅すると予想されている。大垣市中心市街地活性化計画は、大垣市が生き残るためにするもの。その計画が、誰の眼にも欺瞞で、大垣衰退の道であるのが明白である。それでは市民が付いてくるはずがない。大垣市役所の人間も働く気が起きるはずがない。だから大垣市は衰退した。

 人生は成果を出すために、戦わねばならぬ。私も生き延びるために、価値ある仕事に取組み、その成果を遺して世を去りたい。

 

2019-08-07   久志能幾研究所通信No.1287  小田泰仙

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