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2019年5月15日 (水)

神楽軕は神話の世界(改定)

 2018年5月12,13日の大垣まつりは、試楽の12日が16万人、本楽の13日が6万人の総計22万人の人出で賑わった。13日は雨になって人出が少なかったが、雨でなければ、総計30万人の人出となったと言われて、残念であった。

 2019年5月11、12日の大垣まつりは、両日とも快晴に恵まれ、史上最高の総計37万人の人出を記録した。

 いつもは閑散としている大垣市内で、その人出の多さに私は驚嘆した。大垣の人口が16万人であるので、どこにそんな人がいたんだと云うくらいの人が集まった。こういう伝統行事を活用して、大垣の活性化につなげて欲しい。

 

三輌軕の歴史

 大垣まつりの13軕の巡航で、神楽軕は先頭を行く大事な軕である。神楽軕は、先頭を行くので別名「いち軕」、「お祓い軕」とも呼ばれる。大垣まつりでは、この神楽軕と大黒軕、恵比寿軕を三輌軕という。

 神楽軕は神明造りの祠に天照大神をお祀りし、進行方法の右側に猿田彦命、左に雨のうずめ女命の天鈿女命をお祀りしている。

 延宝7年(1679)に3代藩主戸田氏西公が、この3輌を八幡神宮に奉納したのが起源である。本町、中町、新町が1年交代で担当する。当番に当たると、その町は2つの軕を受け持つので大変である。昭和20年7月29日の米軍の空襲でこの軕は焼失したが、昭和24年に再建された。

 

町内渡し・組合町渡し・前触れ

 三輌軕は試楽の2日前から出して、氏神様への奉芸と町内渡しを行う。町内渡しは、自町の町内を曳いて廻ること。その後、組合町渡し・前触れを行う。前触れは市内を曳き廻すこと。これが大垣に初夏の訪れを知らせる風物詩となっている。この時、奏でられる曲「帰り軕」は名曲中の名曲である。

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 2018年5月10日 前触れ  大垣市御殿町付近

神楽軕の構成

 三輌軕は棚車で、飾り軕という素朴な造りで、屋形や、からくりを持たない軕である。神楽軕は、車輪が内輪で、前輪は後方にあり、手古棒は八の字にとりつけられている大垣独自の形式の軕である。水引は戸田家の九曜の紋、横幕も軸には本軕とは異なり、赤、黄、青の縦縞模様となっている。

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飾り人形

 神楽軕は神明造りの祠に天照大神をお祀りし、進行方法の右側に猿田彦命、左に天鈿女命をお祀りしている。

 猿田彦命は、瓊瓊杵尊が天孫降臨をする時に先導を務めた国神様である。天鈿女命は、天孫降臨にお供した神様である。高天原の天岩戸の前で神懸かりに躍ったと伝えられている神様である。瓊瓊杵尊は天照大神の孫である。天孫降臨は『日本書紀』の神話である。

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神楽軕の掛け芸

 神楽軕上で舞をする人形は巫女と山伏の2体あり、人形の芯となる長さ1.5m、直径7㎝ほどの竹に、竹で編んだ人形を取り付け、先端に人形の首を取り付ける。左右の肩から50㎝ほどの細い付けを垂らし、それを腕として先端に手を付けてある。

 腕には、腕を操るための1.3mほどの細い竹が取り付けてある。これに衣装を着けたのが神楽の人形である。操作者は、人形の芯となる竹の下端を腹の帯にのせて、腕につながる竹を操って人形を舞わせる。これは「直扱い」と呼ばれ、全国でも珍しい。巫女の重量は9.8キロ、山伏は7.6キロと重量があり、巫女を優雅に舞わせて、山伏は激しく動かしてと、操作者は大変である。それが操作者の誇りでもある。

 青装束の巫女は「市」と呼ばれている。巫女は右手に鈴、左手に扇を持って神神楽を舞う。昔、八幡神社の近くに「いち」という名の美しい娘がいて、祭りで神楽を舞って評判になった。神楽軕で舞う巫女は、その名をとって「市」と呼ぶようになった。

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08dsc05958   2019年5月12日の大垣まつり本楽で  一昨年と少しお顔と服装が違う。

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 2011年5月11日の大垣まつりで   109l4a0011

 2017年5月14日の大垣まつり本楽で 

 

山伏の神楽 

 次に、白装束の山伏が鳥居下の桶を湯桶に見立て、両手に笹を持って激しく神楽を舞う。その舞いに合わせて、山伏が湯ノ花の代わりに紙吹雪を舞わせる。

 湯立て神楽は、煮えたぎる釜の湯を青笹で祓い、その飛沫を氏子に降りかけて穢れを清めるという神事を舞楽とした。

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 太鼓を叩くのも大変    

16dsc05977   奉芸が終わって退場

夜宮

 夜宮では、神楽軕に飾られた提灯に明りが灯り、幻想的である。山伏が散らす紙吹雪が明りに照らされて、夜宮の祭りに華を添える。

17dsc08550 夜宮に出発前で待機中 

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 夜宮の奉芸前に八幡神社に後ろを持ち上げ礼をする神楽軕

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 紙吹雪が提燈の灯に映える

 

裏話

 本来、軕を曳くのは当番の町衆であるが、今は街中に若い衆も少なく、サラリーマンが多いので、仕事を休んでも運営がままならぬ。体力のない今の中年男性が重い山を曳いて一日中歩くと、疲れ果てて次の日は仕事にならないという。軕は起物物だから、遠い町からも来て欲しいとの要請もあり、3キロ以上も離れた町まで軕を曳いて出かけるという。年寄りは、付いて歩くだけでへばってしまう。だから大学の運動部の学生達にお願いして、お祭り前の1週間ほどを専任して、お祭りで軕を曳いてもらう。大垣まつりは大垣市、地元有志の寄付、地元企業・商店からの寄付で成り立っている。町内の涙ぐましい努力で、大垣まつりの伝統を守っている。感謝である。

 他の都市でも、お祭りの運営は同じようだと聞いた。これも少子高齢化の影響である。

 

後日談

 今回は、手術後で体力も衰えているので、私のリハビリを兼ねて撮影した。昨年までは、1日中撮影していたが、今年は2時間ほどで撮影を切り上げた。そのために軽量のSony α6400を購入して構えた。これはα9に較べて、軽量で、それでいてα9と性能は同じである。瞳センサーのお陰で、人形のお顔が鮮明に撮影できた。夜宮の夜景にも強いカメラであることを確認できた。

 

参考文献:浅野準一郎著『大垣まつり』(風媒社)

 

2018-05-22 初稿

2019-05-15 改定

久志能幾研究所通信 小田泰仙  

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