死に支度
今まで出会った人を振り返れば、自分という存在が分かる。泥棒を求めて旅すれば、泥棒に出会う。佛を求めて旅すれば、佛にご縁のある人に出会う。菩薩の「謦咳」に接すれば、その気が己の肌から体に入ってくる。それが人生での佛との出会いで、人生曼荼羅である。役割・資格・地位・機会等の物理的な出会いのプロセスが、胎蔵界曼荼羅で表され、精神面での出会いと成長の過程が、金剛界曼荼羅で表現される。
命とは
人は多くの人と出会い、叩かれ虐め抜かれて、自分という佛が脱皮・成長しなければ次の界に進めない。「命」とは「人」が棒「一」で「叩」かれる様を表している。一人では人になれない。叩いてくださる他人様あっての人である。何時までも成長しない人が、周りに迷惑をかける。人は日々成長している。己の怠慢が、成長している周りの佛に迷惑をかける。成長していないと、それが悟れない。そのために増長天の存在がある。
成仏とは
今立っている界段を卒業しないと、次の界で場違いの扱いを受ける。まず今、立っている界段で、次の界に行くための死に支度をすべきである。次の界で生きていくためには前の界を殺さなければならない。それが成佛である。死無くして新しい世界は生まれない。死ななければ前世に未練を残す幽霊である。卒業するためには、最後の最期まで、現役で前向きに倒れて成佛したい。
恵峰先生の教室にて 2013年12月
右の軸を伊勢神宮御神水の磨墨と見て即入手した。
.
2019-01-06 久志能幾研究所 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
コメント