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2019年1月26日 (土)

義子先生の懐に抱かれて雨やどり

自然の中で、雨が降るように

人生の中でも雨が降る

その時に、君を頼ってきた人に

雨やどりをさせてあげられる

強さを育てていってほしい

   外松太恵子詩  (義子書)

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  河村義子先生の自宅玄関に掲示されている

 

 2018年12月27日、河村義子先生の告別式の最後の挨拶で、ご主人がこの書の話をされた。この書は、5年前から、ずっと義子先生の自宅の玄関に掲示されていた。義子先生を訪ねてくる人の全ての人に、人生の雨宿りさせてあげたいという義子先生の優しい心の表れなのだ。それは義子先生が不治の病に侵されて、人の痛みが分かったからだと思われる。私は、それを告別式で説明されるまで気が付かなかった。その書が玄関に掲示されていても、あれども見えず、であった。つくづくと己の愚かさを痛感した。

 人は棺を覆って初めてその人生の偉大さが分かる。この書は、義子先生が5年前にがん告知されて、手術をせず最期までピアニストとして生きようと決心した時、思いを込めて、この書を書かれたようだ。そして子供から大人まで、人生の雨やどりをさせてあげようと、命ある限り、全力を注いで音楽活動をされた。それと同じ時期に、私がグランドピアノを買い、個人レッスンで義子先生に師事し、写真撮影のお手伝い始めたのもご縁である。

 義子先生は10年前から大垣市民病院で「院内ふれあいコンサート」をされていたが、私は知り合ったときと同じころ、余命5年を宣告されていた。

 義子先生は内臓の病気の為、その当時から下向くと辛いようで、風呂掃除等には家政婦さんをお願いしたという。それ以外はけなげに家事をされていたという。2018年11月、最後の最期になって、食事の家事ができなくなり、家族に迷惑をかけてはならぬと、緩和病院に入院されたという。死の一か月前である。

 

院内ふれあいコンサート

 義子先生は、そんな状況で慈善の大垣市民病院の「院内ふれあいコンサート」に精力的に取り組まれていた。その姿をみて、病気を知っている大垣市民病院医師はその精神力の強さに驚嘆していた。私はそんな状況とは露知らず、撮影を頼まれ、そのお役に没頭していて、先生の病状には気が付かなかった。これも人生のお役目であったと思う。見事に義子先生に騙されていた。結果として義子先生の慈愛の懐に抱かれていた。命を門下生や皆さんのために捧げた義子先生の行動は美しい。だから「聖観院教音義愛大姉」の戒名を授かった。

 義子先生は、生前にお寺で慈善コンサートをされたり、お寺にピアノを寄付されたりと多くの貢献をされている。だからお寺さんが、この立派な戒名を無償で授与された。普通はお金を出してももらえない価値ある戒名である。

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   河村義子先生と天野千恵先生

  2017年6月5日 院内ふれあいコンサート(大垣市民病院)

 人がその慈愛に満ちた行動に気が付くとき、往々にしてその観音様は世を去っている。それは無償の母の愛に似ている。母は無償の愛を子供に授けるが、子供は往々にしてそれを干渉しすぎだとうるさがるもの。その愛に気が付いた時は、母はこの世にいない。私の場合もそうだった。

 私は義子先生の門下生として、その後ろ姿から多くを学ばせていただいた。その志を受け継ぎ、私も皆さんが人生の雨やどりできるような貢献をしたいと頑張っている。

 

2019-01-26 久志能幾研究所 小田泰仙

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