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2018年11月 9日 (金)

大垣市民憲章は論理的に恥さらし

現在の大垣市民憲章の論理構成がおかしい。大垣市民憲章で宣言している内容がお粗末である。だから大垣市は迷走している。

(大垣)市民の誓い:「私たちは水を生かし 緑を広げ 安全に務め 心を育て 助け合います」

 

論理の問題点

この市民憲章では、人よりも、水、緑が大事にせよと、市民の誓いで強要している。ついでに、人の教育より、先人の伝統より、安全と心を育てるのが大事と血迷って宣言している。なにかおかしくないか。大垣市を支え、発展させるのは、人である。水も緑も自然の恩恵で市民が作ってきたものではない。今の大垣市民憲章には、人の育成、歴史の恩人の話がない。恥さらしな市民憲章である。

テクニカルライティングの基本は、一番大事なことを、一番最初に記述する。その論法で言えば、大垣の市民憲章で、人よりも水が大事なのだ、と宣言しているのだ。言葉とは裏腹に、天与の水をいい加減に扱う(治水をせず)から、水害のしっぺ返しを受けるのだ。頻繁に市内の基幹道路が水没するお粗末さを招いている。市民憲章から笑われている。全てを生む源は、人である。人を育成せず、先人の恩を忘れれば市と日本の発展はない。

 

主語の使い方が不適切

「私」とは、禾編で稲の意味を表している。「ム」は、腕で稲を抱え、自分のモノにしていることを表す象形文字である。つまり第一人称で、利己主義的な意味を含む単語である。だから市民憲章の主語として不適である。主語を書くなら、皆、全員、大垣市民を主語にすべきである。

 

戸田公の功績

今の大垣市の基礎を築いたのは、370年前の初代藩主戸田公が、教育に力を入れ、代々、大垣は教育の町、文化の町、博士の町に築き上げた。明治初期には、博士の出現率が、全国他市の50倍という驚異的な値であった。江戸時代に培った教育への取り組みが明治時代に花開いたのだ。

今でも、岐阜県の学問・教育に関しては、「西の大垣、東の岩村」と言われている。二つの街はお互いに似通っている。岩村は日本の孔子といわれた佐藤一斎を生んだ街である。2018113日、岩村を訪れた時、茶屋のお店の人からそう言われて大垣を見直した。

一般家庭でも毎朝のお勤めで、仏壇に手を合わせて、ご先祖にお礼を口上するのが日本人だ。その心がないから、大垣市長が戸田公を祀る神事で居眠りをする失態を晒すのだ。

 

お粗末な市民憲章の罪

今のお粗末な市民憲章が、今の大垣の衰退を招いている。それを放置しているのが、大垣行政の責任だ。市民の教育より、水が大事なのか。緑が大事なのか。安全が市民の教育より大事なのか。教育をきちんとして人を育てれば、おのずと市民は安全最優先で心豊かな高い意識となり助け合うのだ。説明の順序が逆である。論理構成が出鱈目だ。

 

因果応報

こんな低落だから、だから安全を無視した因果で、201711月に大垣ドローン墜落人身事故を起こして、真の犯人の大垣市行政の責任者が、全責任を業者に押し付け、雲隠れする不祥事を犯した。大垣市行政の信用がドローンと地に落ちた。その総責任者は小川敏市長である。小川市長自身が己の心が育っていないのだ。

 

改定案(仮)

大垣市民は皆で、人を愛し、人を育成し、先人の偉業を受け継ぎます。大垣市の発展のため、大垣の産業と文化を育てます。

(人と文化を育てれば、おのずと大垣市も発展し、産業も発達する。)

 

皆さんも、自分の住まいする市の市民憲章を上記の目で見直してください。

 

2018-11-09  久志能幾研究所 小田泰仙

  著作権の関係で、無断引用を禁止します。

コメント

ある地方都市の市長の誓い
------------------
わたしは生まれ持ったワル知恵を生かし
隠蔽工作を広げ
法に触れない程度の金儲けを
安心安全に行えるように
賛同者たちの心を育て
助け合います
------------------
こんな市長がいる所には住みたくはないが、
こんな市長を選挙で選んでいる市民も
何かマインドコントロールされているので
はないかと思います。

大垣市民憲章 改定案No2 (仮)
 大垣市民は、人と土地を愛し、人と土地を育成し、
 大垣を創りあげます。
 (大垣市民の”心”も衰退しないように、皆で
  切磋琢磨して大垣を創りあげます。)


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