« 第二段 苦 | メイン | 第五段 生 »

2018年8月11日 (土)

第一段 死

生は偶然、死は必然。 

死なくして生はない。

死があるから生が輝く。

Photo_2

 馬場恵峰書  五重塔の正面の和歌

 

人生の結論

 人生の結論は死である。そこから始めて何を残すか、何をやるかを考えるのが人生設計であり、そこから死計の智慧が生まれる。若い頃は頭で薄々分かっていても実感の無かった死という結論が、あちこちと体に不調を抱える歳になり、お墓作りを通してはっきり見えてきた。

 人生の死計を考えない人は、スリラー小説みたいな人生を無為に送り、上り坂、下り坂、マサカの場面に遭遇して転落する。スリラー小説を読み、演劇を見るときは、初めから終わりへと頁をめくり、観劇をする。そのストーリーのクライマックスで、どんでん返しを見せられて狼狽する。そうならないように、死計を考えて生きていきたい。

 

人生経営

 会社経営では、終わりの目標から始めて、そこに到達するために、英知を尽くしてできる限りのことをする。テクニカルライティング上の文書作成でも、最初に言いたい結論を書くのが基本である。その文章の中身は、クライテリア(基準)に則って記述することが要求される。人生経営も同じである。自分はどんなクライテリアの基づき生きてきたのか。残された時間をどのように使うのか。

 

人生のデザイン

 人生のデザインでは、何のために生きるかというクライテリアがないと、人生設計図が完成しない。それでは死計もありえない。一番素晴らしい人生とは、死に臨んで、死計として従容として死に就くことである。よく働いた日が安らかな眠りを誘うように、計画を完遂した人生は、安らかな死を賜う。それはやるべきことをやり遂げた人への、佛様からのご褒美である。いつ死んでもよいように、今を一生懸命に生き、仕事をして、使命を果たす。

 

一念

 一念とは「今」の迷う「心」を一つにして、背中に我慢を背負い、右手にソロバンと左手に海図(理念・経典)を持って、明日は分からない命を抱えて生きることである。そのためには、命の運搬手段としての体に悪影響を与える事象を遠ざけるのが死計である。

 

余生なき人生

 余生とは、生きながらえている状態である。人生設計図に「余生」などという期間はない。最期まで現役であれば、余生など不要である。この歳まで無事に「歳を頂いた」のだから、そのお返しをご先祖とこの世にしなければなるまい。余生を送っている暇は無い。

2   馬場恵峰書

2018-08-11  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

コメント

コメントを投稿